ピンチって、本当にチャンスなの?過食嘔吐でどん底だったとき、なぜ回復しようと思えたのか
私はよく、
「ピンチはチャンスだよ」
「どん底に落ちたら、あとは上がるだけだから大丈夫」
「夜明け前が一番暗い」
などの言葉を使うことが多いですし、自分の経験を振り返ってもそう思います。
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茜さんはどうやって
どん底からはいあがりましたか?
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と聞かれたので、
今日は私の経験について語ってみようと思います。
1日4回過食嘔吐して、標準体重をこえたとき
私がどん底だったのは、1日4回過食して、吐いているのに標準体重こえたときですね。
その頃は、高校を休学していて、でも高校に戻る勇気もなくて、でも社会との繋がりが欲しいけど何をしていいかわからなかった時。
本当に毎日死にたかったし、苦しかった。
見た目も吐きすぎてパンパンだし、過食嘔吐三昧の生活のせいで家族の空気も最悪だった。
でも死ぬ勇気もありませんでした。
本当に毎日しんどかったんだけど、
「もう痩せる努力もしんどい」
「高校を2年遅れでやりなおす元気もない」
「過食嘔吐していても現実は変わらない」
ということに、薄々気づき始めていました。
生きていても家族に迷惑かけるけど、死んだ方が家族が悲しむのはわかっていたから、私は誰に迷惑をかけても良いから、社会復帰していかなくちゃな、と思ったんだよね。
社会復帰>病気を治すこと
私の中で、一番の目標は「吐かなくなること」でも「痩せること」でもなく「社会復帰すること」になりました。
だから、過食嘔吐してもいいから何か始めよう。
痩せていないし、醜い体だけど、人前に出ていこう。
と思えたんだよね。
つまり、社会復帰する以外は、正直なんでも良くなっていました。
いい意味で、諦めがついたんだよね。
社会復帰に気持ちが向かい始めた時、私はやっと自分のダメなところを丸ごと受け入れて、「こんな自分でも、今できることやっていこう」って思えたんだよね。
バイトに応募しまくって、やっと受かったパンづくりの仕事を半年間やりました。
パン職人の仕事がしたかったわけではないけど、とりあえず日中の過ごし方が変わったことで、過食嘔吐も半分以上減りました。
バイトで違う世界を見てから、高校にこだわり必要もないと気づき、高校も中退しました。
10代をパン職人に費やすのも違うと思って、2年遅れで高卒認定試験を受けて、予備校に通って大学受験もしました。
見た目はあんまりいい状態ではなかったけど、少しずつ「社会復帰のため」に動き出せた自分がいたんだよね。正直、見た目は本当によろしくなかったけど、もうそんなことより、社会に出ていくことの方が大切だと思えたんだよね。まわりより2年遅れていることに、切羽詰まってました。でも、私にはそれがいいプレッシャーになってくれたんだよね。
死ねる希望を原動力にした
もちろん、バイトの途中でも
受験勉強の途中でも、
何度も死にたくなった。
死にたかったけど、
「バイトで失敗した時に死ねば良いや」
「受験に落ちたら死ねば良いや」
「告白して、振られたら死ねばいいや」
といったような感じで
「失敗した時に死ねばいいから、とりあえず今できることやろう」と、死ぬことを希望のように、最後の砦のように思えたら、次の一歩が踏み出せたんだよね。
そんなことを繰り返しているうちに、失敗することもあったけど、なんとか大学も合格して、就職もして、今は独立移住して、なんとか生きてます。
まとめ
私の経験から言えることは、
「治そうというより、生活をどうしたいかを考えること」
「見た目は妥協して、やりたいことを優先すること」
「一歩踏み出せなくて死にたくなっても、死ぬことを先延ばしにすること」
この三つの考え方が、どん底を脱出することにつながりました。
きっと今、もどかしい毎日を過ごしている人もいると思う。
でも、どん底こそまで落ちると、自分の変なプライドどかがどうでも良くなったりします。もう、がむしゃらにやるしかない、って気づくチャンスだったりします。
そう思えなくても、そう思える時が来るから、自分の可能性を諦めないで欲しいなって思ってます。
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