人材育成と指導者のマルチロール化
職場の高齢化が進む日本では、育成担当と育成対象者の年次が離れている事例がどんどん増えている。
これ自体はしょうがないことなのだが、職場はロジックだけでは動いていない。
技術を指導する人間の年次が離れているのならば、逆に近い感性の人間が感情面の安全性を確保してやらないと、長く働き続けることはできない。
人間は基本的に自分にとっての最先端にしか興味がない生き物だ。自分が10年前に習得したことに対して、習得当時と同じ熱量を保つことは難しい。
新しく物事を知ることはあっても、知らなかった頃の自分には戻ることはできない。発見した時の感動は初回限定だ。
現在進行形で悩んでいたり、直近で解決策を見出した経験は熱量を生み出し、それは明らかに相手への浸透度に影響を及ぼしているように思う。
受け止める側の感性も時代とともに移り変わるので、同じ内容でも表現の仕方で全然伝わり方が違う。
感情面のケアは、同じ時期に異動してきて分からないことだらけの境遇が同じ人間が最適なのだが、人手不足になるとそのような人間もいない場合が増えつつある。
リスキング、1for1、コーチングなどの言葉がもてはやされているのは、「分厚い人材プールが保てなくなったから、指導者が感情面のケアも兼ねろ」という会社からの要請が大きい気がする。
「スキル面の指導はやりたいようにやらせてもらう。感情面のケアは誰か他の人間がやれ」という姿勢が変わらない人間は、人が順調に増え続けている職場であれば活躍できるだろう。
具体的には、発展著しいアジア諸国である。憧れをもとにアメリカとかヨーロッパに行こうと考えるとミスマッチが起きそうだ。
ちなみに、私も徐々に指導する側としての役割が増えてきたのだが、「仕事と人格は別物だ」という感覚は、ある人とない人で指導の難易度が格段に違ってくると思う。
私が曲がりなりにもこの仕事を長く続けてこられたのは、どんなに厳しく叱責されても、自分の人格を否定されているわけではないと心の奥で整理をつけてきたからだ。
これを指導者側の伝え方の工夫でなんとかしろ、というのが昨今の傾向である。右肩上がりの経済であれば気にしなくて良かったものが顕在化している。育成側はどうやら人格形成過程まで踏まえて考えないといけなさそうだ。
また、プロジェクトの背景にあるストーリーまで含めて語る、というのが重要と言われる。そして、サラリーマンというのは、構想段階に関わっていない途中参加のプロジェクトでも、即座に没入しなくてはいけない。
プログラミングのような目に見えやすいものではないので分かりづらいが、直近で管理職になった人たちの様子を見ていても、指導者のマルチロール化は着実に進行しているなあ、というのが私の実感だ。
当たり前の水準が上がりつつあることを胸に秘めながら、今日も職務に邁進しよう。