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サブマサウルスのいるところ 1

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 どうやら少しばかり寝てしまったらしい。腕時計の針が最後に見た時よりも三十分進んでいた。
 地下特有の薄暗さはどうにも眠気を誘う。おかげで懐かしい夢を見てしまった。悪夢の方ではなくてよかったと思う。
 森石の父親と会ったのは、去年の十二月ぐらいのことだ。それから受験勉強をしつつ、何度か森石と会いながら身辺整理をして、気づけば卒業式が終わるなり鯨土町に来ていた。今が六月だから、森石とはかれこれ半年あるかないかというぐらいの付き合いになる。
 あくびを漏らして森石の姿を探そうとしたが、その必要はなかった。高さ十一メートルのアクリルケースに張り付いている姿は、俺が寝る前と変わらない。思わず、もう一度時計を確認してしまったぐらいだ。
 俺の位置だと後ろ姿しかわからないが、同年代の平均身長以下のせいか、年相応には見えなかった。これでさらに猫背気味なうえに、童顔までくわわるのだ。小学生と間違われても仕方が無い。スーパーでよく会うご婦人には、同じ年なのに兄弟のようだと言われたぐらいである。見た目というより、雰囲気的なものもあったと思う。かといって、俺は森石といる時に自分が兄のような気持ちになったことはほとんどないし、兄というのがどういうものなのかわからなかった。多分、森石の方も俺を兄とは思っていないはずだ。

 まあ、保護者みたいだというなら否定しないけどな。
 今日みたいに週一の頻度で森石が鯨土パークに行くのに付き合うのだって、俺がその場所に興味があるわけではなく、心配だからだという理由だ。
 鯨土町の数少ない娯楽施設である鯨土パークは、休日は混雑し、平日でもそれなりに人が多い。幸いなことに、森石は騒がしい遊園地エリアは無視して地下の動物園もどきに向かってくれるので、人混みに対するイライラは避けられた。

 この動物園もどきにいる展示されているのは一頭だけだ。当初は種類を増やす予定だったのか、空のアクリルケースがいくつか並んでいる。掃除はそれなりにされているが、年季の入ったベンチを買い換えようとする様子もなければ、たった一頭のためのケースを無視すれば、薄暗さも含めて廃墟のようだ。いつ来ても人気が無い。

 そんなところにいる唯一の動物が、サブマサウルスだった。奇跡のトカゲという意味の名前を持ちながら、その明るさとは無縁の地下にいるのは皮肉としか思えない。
 地上から吹き抜けになっているケースの中へ差し込む光が、徐々にオレンジ色になっていく。
 腹ばいになっているサブマサウルスは、俺が見たことのあるサブマサウルスと違って大人しいものだった。本来なら、日が暮れるまで活動的に動き回る生き物である。だが、昼間を過ぎても腹ばいになっていることが多い。今のように目を閉じていることもあるが、開けている時もある。それでも心ここにあらずというか、そこに目玉があるだけといった風に見えた。
 縁起が悪いので口にはしないが、あの恐竜がいつ死んでも俺は驚かないだろう。何度か見ているものの特に何も感じない気がした。気力がない生き物が死ぬのは当然だ。
 だからこそ、それを飽きもせずに見ている森石が不思議で仕方がない。

 考えにふけっていたところで、ポケットのスマートフォンが揺れた。どうやら、クラスメイトの花柴(はなしば)からメッセージが届いているらしい。
 昔は頻繁に使っていたメッセンジャーアプリではあるが、この町に来てからはあまり使っていない。それまでは、女か利害関係がある相手とのやり取りを優先としていたせいか、現状の駆け引きがないやり取りは少しばかり退屈ではあった。もっとも花柴が相手だと多少は駆け引きできるが、面白いわけでもない。

シキミ: 今、どこにいるんですか?

 花柴 樒(はなしば しきみ)というのが彼女のフルネームだ。一見するとハンドルネームのような珍しい名前だが、俺だったらアプリで本名は使わない。
 このメッセージがデートの誘いで、花柴がどこにでもいるような女の子ならよかったのに。デートという名目での女子の態度は特別で、面白いこともあるのだ。 
 いや、ほいほいデートに行くのは俺の目指している方向とは逆だ。ここは相手が花柴でよかったと思うことにしよう。よくないけど。

シキミ: 森石くんと鯨土パークにいるんですか?

返事を考えている間にメッセージが追加された。まるで近くで見ているかのような発言だが、それらしい気配はないのでパターンを予測しただけだろう。
 本気で森石に会いたいなら、直接、やり取りすべきだ。しかしながら、俺の同居人は機械が得意ではないので難しいのだろう。電話には慣れているが、文字でのやりとりに苦労しているのを何度も見ていた。俺は返事を入力せずに立ち上がる。
「森石、帰るぞ」
 俺の声に森石が振り向く。
 大きめの両目がじっと俺を見た。どこか悟りを開いたかのような静かすぎる黒い瞳に、俺の姿が映っている。童顔であるゆえに、その目の異質さが際立っていた。最初でこそ感情がないかと思ったが、数は少ないもののこだわりが強いところもある。アンバランスだと思う。
 もっともその幼い顔で一番の違和感は、右耳から右頬まで伸びた傷跡だ。地上から差し込んでくる夕暮れの橙色の赤みが強く感じるのは、それのせいだろう。

 いつだったか、その傷は同級生に切られたものだと教えてもらった。傷跡を見るに深く切られたことは明らかだ。この出来事が原因で引きこもったぐらいなのだから、ショックが大きかったのだと思う。気になったのは俺にそれを説明する森石が、まるで他人事のような言い方をしていることだった。
 克服したっていうのなら、それはすごいことなんだろうけどな。
 自分が今でも過去の出来事に縛られているだけに、そう簡単に克服できると思いたくないだけなのかもしれない。

「わかった」
 特に異を唱えるわけでもなく森石が頷いた。
 この同居人と関わって思ったのは、社交的だった俺でもこのタイプには会ったことがないというものだった。誰かに従う人間というのは、依存心や信仰心で動いているところがある。だが、森石にはどちらもなかった。基本的に何かを選択する際に俺を見ることが多い。しかし、俺がいなかったところで困るということはないのだ。
 いや、正確には、困るのは周囲の人間だけだ。森石は俺がいない時にはびっくりするほど話さないらしい。それが故意なのか、はたまた聞こえていないのか、人の発言を無視することもある。それを知った教師や同級生が何度か俺に相談してきたぐらいだ。

 花柴もその一人だが、彼女の場合は相談というよりは、俺の森石への関わり方についての怒りに近い。
 俺としては彼女にいわれる筋合いはないので、適当に相手をしていた。どうにも彼女と一緒にいると加虐心をそそられて困る。俺は改心して、至って普通のどこにでもいる高校生になろうとしている身である。そんな他人を見下したような態度の女を追い詰めて楽しむような真似をしてはいけないのだ。
 歩き出した俺に小走りで追いついてきた森石が並ぶ。そうすると、頭一つ分の身長差が際立つ気がした。
 何気なく振り返ると、サブマサウルスが尻尾を揺らして木々の向こうに消えていくところだった。

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