いつもの学校生活 3

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 作ってきた弁当をたいらげても昼休みが残っているのは、岡村が別のクラスの生徒に連れて行かれたからだ。お互い約束をしているわけでもなく、タイミングが合う時に一緒に食べているだけなので、軽く手を振って見送った。花柴がいる時はちょっかいをかけられるのだが、それもないせいか早く食べ終わってしまったのだ。

 思ったよりも時間が余ったので、いつもは放課後に行う校内の見回りをすることにした。これも俺が勝手にやっている日課の一つだ。
 その時間の空き教室や倉庫になっている場所が閉まっているか調べて、開いていれば中を見る。誰かがいる様子なら窓から覗ける時はそっと見る。見ようによっては怪しいことこの上ない行動なのだが、俺のクラスメイトは松毬だから仕方ないと思っている節があって、俺に気づくと「そっちは私が閉めたから森石くんはいないよ」「体育倉庫には誰もいなかったぞ」「視聴覚室は放送部が使ってるみたいだから、大丈夫だと思う」などと聞いてもいないのに教えてくれる。彼や彼女らもたまたま見かけた情報を俺に伝えているだけだとわかってはいるのだが、俺はそういうのに慣れてなかったから驚いた。

 というか、あいつら、俺が歩き回っていたら森石を探していると思っているところがあるから、他の相手に用がある時でも同じようなことをいうのだ。あげくの果てに探していた相手にまでそれを言われるのだから、わけがわからない。
 もっとも俺の見回り理由は彼や彼女たちの指摘通りだ。ありがたく情報はいただくことにしている。同居人とはいえ、探し回っているのは気持ち悪いと思われそうなのだが、そんな風に見られたことはなかった。

 十中八九、岡村の人望である。入学当初、すでに人間関係が構築されている場所に現れた俺が警戒されるのは当然のことだった。俺自身も立ち振る舞いをどうするのか困っていた時期だったというのもあって、余計に近づきがたかったのだろうと思う。最初に話しかけてきたのが岡村だった。そして、彼と話した次の日にはクラスメイトの態度が一変していたのだ。
 聞けば、岡村という人間は小学生の時から困っている人間がいれば助け、喧嘩している人間がいれば仲裁に入るような性格だったそうだ。彼と歩くとすれ違う人間のほとんどか必ずといっていいほど声をかけてくる。それは教師も例に漏れずといったところだ。

 それでも岡村は助けを求める人間がいなかったら、動かないんだよな。
 誰かしらが助けて欲しいとお願いするか、もしくは本人が頼まなければ、岡村は何もしない。
 あの岡村がそうなのだから、俺もそれが普通なのだと思い込むことにしている。だから、俺は現状、警戒すべき敵に対して攻撃もそれに関係することもしてない。ただ、それだけだと気にくわないから防御のための行動をしているだけだ。

 十五分ほどうろついたが、森石の姿はなかった。最初に行った森石のクラスに豪打(ごうだ)グループがいなかったのが少しばかり気になる。四組の問題児といえば、真っ先に名前が出るのが豪打だ。柔道かプロレスをやっていそうな体格に強面で、廊下を歩く時は常に真ん中を陣取る。金髪と茶髪の取り巻きを両側か後ろに二人ほど連れていて、最初に見た時は人型のハエを連れたウンコかと思った。かといって、見た目で判断するのは俺の悪いところだ。いくら物理的にではなく臭いと思ったところで、問答無用で掃除をするのは真っ当とはいえない。

 思い出したらイライラしてきた。俺の日課の関係上、顔を合わせる機会は多い。見る度に、特に理由なく殴りかかってきてくれないかなと思ってしまう。相手が相手なので、煽るような真似はせずに至ってニュートラルに振る舞っているつもりだが、向こうから余計なことを言ってくるので対応するのが面倒だった。

 三階の踊り場で腕時計を確認すれば、掃除時間の開始を告げるチャイムが迫っている。今のところ怪しい情報はない。四階は音楽室や美術室の特別教室と部室になっている。誰かしらいるはずだ。滅多なことはないだろう。そろそろ教室に戻ることにした。

「松毬?」
 名前を呼ばれて顔を向ける。今から教室に戻るところだったのだろう、階段に森石が立っていた。
 それに対してすぐに何かを言うことができなかったのは、反射的に頬を噛んだからだった。痛みは怒りの代替行為だけではなく、少しではあるが冷静さも取り戻してくれる。
 どんなにイライラしていようとも母にだけは八つ当たりしないように日頃からやっていた行為だが、今は日常的にそうするようになっていた。俺の口の中は歯形だらけだろう。
 それでも目の前で濡れ鼠になった森石を見て、何事もなかったようには振る舞えなかった。

 階段を下りてくる森石の服から滴る水は少ないが、その皺の具合から見るに絞ったのだろうと思う。髪だけはどうにもならなかったようで、ひっきりなしに水が落ちていた。
「今年は空梅雨だったと思うんだけど、雨でも降った?」
「スコールでない限りは降っていないと思う」
 視線を右に左に彷徨わせながら、森石はいう。その手は制服を掴んでは離す行為を繰り返していた。
「どうしてびしょ濡れなのか聞いてもいいかな?」
「トイレで転んだ」
「バケツがひっくり返った?」
 同じ状況が四月の終わりにあったことを思い出して答えを先取りすれば、森石が頷いた。
 あの時は森石がドジをして転んだ結果だと思っていたが、今なら違うとわかる。確かに風呂掃除をさせようものなら濡れ鼠になるような同居人だが、貴重な昼食時間を割いてまで掃除をするような性格ではない。

「ちゃんと頭は守ったから平気だ」
 俺が森石を心配している一番の理由がこれだ。濡れて気持ちが悪いとか、転んで痛かったとか、そういう感覚は森石にとって重要ではない。
「痛いところとかは?」
 俺は今、すごく頬が痛いし、口の中が気持ち悪い。
「あるが、これぐらいでは死なない」

 そういうことを聞いているわけじゃないが、森石にとって大事なのは死ぬか死なないかしかない。死なないのなら、どんな怪我をするのもたいしたものではないと思っているし、刃物を向けられようか平然としているのだ。後者に関しては誰かにそうされたのを見たわけではなく、俺が試したから知っていることである。あの時の森石の態度は強がりでもなんでもなく森石はいつも通りだった。

 彼にとって死ぬかも知れないという状況が俺にはわからない。これでも本当に危なそうな相手には近づかないし、理由がなければそういう場所には近づかない。それぐらいのことはできる。
 今の森石を取り巻く環境はどういうものなのだろうか。危なくないから平気なのか、そうまでしてそのままでいたい理由があるのか。どちらにしろ、森石の勝手である。
 本人がこれなのだから、俺が苛立っているのはおかしな話なのはわかっていた。

 息を吐くと森石が俺を呼んだ。俯いていたことに気づいて顔をあげる。
 頬の傷跡を撫でる森石の目が揺らいだ。
「制服を濡らしたのは申し訳ないと思っている」
 そこかよ。
 俺にとっては重要度の低い問題だ。そもそも森石が悪いわけではない。
「それはたいしたことじゃない」
「それで怒っているんじゃないのか?」
「正直、理由の心当たりが多すぎて、何がこんなに嫌なのか俺にもわかってないんだよ」
 昼休み終了のチャイムが鳴る。ほんの一瞬だけ森石が顔をしかめた。
「森石、お昼まだ食べてないだろ?」
 俺の指摘に森石が僅かに目を見開いた。
「なんでわかったんだ?」
「わかるよ。多少はね」
 この話をしている間も、森石にとって重要なのは昼食であるのはわかっていた。
 わかっていながら、自分の聞きたいことを優先するのは悪い気もしたが、聞かずにいられなかったのだから仕方がない。

「リュック持ってきてやるから、念のため保健室に行ってきたら? あっちだったら、弁当食べてても怒られないだろうし」
 俺の提案に森石は傷を撫でてから、ゆっくりと瞬きをした。
「わかった」
 頷いてもらえたのでほっとした。
 このまま教室に帰らせるのは抵抗がある。森石のことだからこの状態で授業を受けかねないのだ。
「松毬は教室に戻らなくてもいいのか?」
 なぜそんなことを聞くのかと思ったが、俺が普通を目指していることを知っているからこそかと納得する。
 それが気になるなら、同じくらい自らを気にかけてやって欲しいところだ。

「俺のクラスの連中は察しがいいから、誰も気にしないよ」
 わかっていても気にするとしたら岡村ぐらいだろう。俺が森石関連だと何を起こすかわからないと心配しているからだ。
 本音をいえば、豪打たちに何かしら攻撃を仕掛けたいところなんだけどな。
 先に向こうが手を出してくれなければ、俺のイメージが悪くなりかねない。
 俺を見ている森石が何か言いたげだったが、結局は何も言わなかった。

続き

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