いつもの学校生活 2
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花柴はテストが好きだ。それは中間、期末に限らず、授業内で突発的に行われる小テストも含まれる。彼女はクラスでも上位の成績なのでそれが嬉しいのだろうと勝手に思っていたが、どうやら不定期に行われる俺との勝負が楽しいということを前の席に座る岡村から聞いた。
「負けても嬉しそうなんだぜ? これって松毬のことが好きなんじゃね?」
椅子の背もたれに腕を乗せた岡村が小声でいう。町内にある高校なせいか、自宅に近いからという理由で選んだ生徒がほとんどである。だいたいが顔見知りだった。
「それならもっと別のアプローチをして欲しいかな。言っとくけど、当日に勝負を申し込まれるなんて、無茶ぶりとしか思えないよ」
おかげで、成績平均値で三年間を終えようとしていた俺の計画が破綻してしまった。
負けるだけならどうにか我慢して乗り切ればいいが、罰ゲームを追加してくるのが花柴である。まさか睡眠不足のピークに勝負を持ちかけられるとは思わずに負けた時は、本気で悔しかったうえに腹が立った。耐えたことを褒めて欲しいぐらいだ。
その時の罰ゲームが森石に会わせろというものだったのには困った。いわく、花柴が何度か話しかけても反応がないどころか、場合によっては逃げられるのでどうにしかしろとの要求である。許可は得たとはいえ、全くもって気が進まない話だったし、今でも俺にとって汚点である。それならなぜ罰ゲームを無視しなかったかと問われたら、負けたのは事実である以上、課せられた罰を受けるのが普通かと思ったのだ。
今はあれが間違いだったとわかる。普通でも嫌なものは嫌と言うべき場面もある。
「でもあんな子が隣にいるなら羨ましいって、みんな言ってるぜ」言いながら、岡村はちらりと廊下で別のクラスの男子と会話する花柴を見た。「松毬じゃなかったら、おっぱいに負けてるって」
「負けるって?」
「つい手が伸びてビンタの流れのことさ。松毬ぐらいだろ、ちゃんと胸じゃなくて顔を見て話ができる男子は」
そんなことを言いながら、岡村の視線は花柴の胸元なのだから救いようがない。
今日は通常より少しばかりサイズが増えているのを見るに、パット入りのものじゃないだろうか。
「それはほめ言葉かな」
「いっそ男の方に興味があるって言ってくれたら、女子にモテようとも意味がないってことで俺は救われるんだけどな」
ははと快活に笑いながら岡村はいう。俺はこのクラスメイトのことをわりと嫌いではない。一見すると運動部にでも所属していそうだが、彼は帰宅部だ。その理由が実家の手伝いと不満なくいえてしまうところに、俺は憧れている部分がある。くわえて、彼の母親とはスーパーで何度か会話したことがある。俺の料理レパートリーの煮つけの技術は半分以上、ご婦人のおかげだ。男勝りな話し方で体格もいいのだが、とにかく優しい。そこそこ良さげな料理酒を何度か分けてもらいながら、こんな人もいるのだなと感動したものである。
「実際にカミングアウトしたら、自分が対象にならないかって怯えるんじゃないの?」
頬杖をついて意味深に笑ってみせると、岡村の表情が引き締まった。
「俺はそんなことで松毬への態度を変えることはしないさ」
冗談半分だったのだが、そう断言されてしまうと本気でカミングアウトしてみたくなるのが、俺という人間である。
俺はプラトニックな恋愛とは無縁の人間だ。身体の相性がすべてだと思っているし、性別云々よりテクニックと後腐れがなければ、誰でもいい。
そう正直に答えられればよかったのだが、俺の求める普通とはかけ離れたもので口にはできなかった。
「きゃー。惚れちゃいそう」
「いやいやいや、本当だから!」
わかってる、わかってる。お前はいい加減そうに振る舞ってるけど、いいやつだよ。
「オレガオンナダッタラ、オツキアイシテタノニー」
「松毬、目が死んでる! 演技するならもうちょっと真面目にやってくれよ!」
「話戻すけど、俺ってそんなに女に興味なさそう?」
「なさそうっていうか、異性として見てなさそうな気もするんだよな。そのわりには男女で扱い方違うし、それって女子としてみてるってことだろ? だったら、単純に対象外だと思うさ」
中学生の時に堪能し尽したからガツガツしてないだけである。一夜限りなら喜んでと言いたいが、普通はそう軽く言うべきではないと我慢しているだけとは言えない。
「興味はあるよ。主にブラジャーだけど」
「それ、おっぱいじゃん」
「中身じゃなくて、外の布の話をしているんだけど」
「ほほう。松毬は無機物がいいのか?」
「そうじゃないよ。実は俺、ブラジャーだけ透視できる能力があるんだ」
「おっぱいは?」
落ち着け、この童貞が。瞳孔が開いてるぞ。
「見えたら規制がかかるから見えないよ」
「嘘、だろ。能力の意味がなさすぎる」
「嘘だからね」
ぴぎゃああという奇声と一緒に往復ビンタをされてしまった。
「本気にしかけたじゃないか!」
「ごめん。岡村が筋肉脳だって忘れてた」
「うるせえ! 脳と筋肉は別だ! 俺にも透視能力があればよかったのに!」
コツさえわかれば、胸のサイズぐらいなら当てられないこともない。ただ、童貞には知らなくてもいいことがたくさんあるのだ。
お前のそういうところが嫌いじゃないから、教えないよ。
「というか、前にも花柴と俺の仲を気にしていたけど、何かあるの?」
ゴールデンウィーク明けに、もしかして二人は付き合っているのかと岡村に聞かれたことを思い出す。
なんだかんだで、楽しい連休に絡まれたのを目撃されたらしく、気になったそうだ。
「あるにはある。でもただの噂話にしか過ぎないし、松毬なら大丈夫そうだとは思っているんだけどさ。万が一のことがあるだろ?」
「その噂話の内容が聞きたいな」
岡村が躊躇しているのは、悪い噂だからだろう。確定はしてないが、俺にはいい風に働かないと思ったからこそ忠告しようとしている。
きょろきょろと周囲を見回して身を乗り出した岡村は、一言だけ告げた。
「花柴と付き合う男は不幸になるらしい」
その付き合うが恋人以外にも作用するなら、俺はその迷信のせいで苦労しているのかもしれない。
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