いつもの学校生活 4

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 少しばかり時間がかかってしまったが、森石のリュックを回収することはできた。
 途中で豪打たちに会ったら怒らせるようなことを言ってやろうと思ったからこその提案だったのだが、会わないとわかっていたら森石と一緒に行ってもよかったのかもしれない。

 保健室に入ると真っ先に養護教諭に手招きされた。
 若い養護教諭といわれるとエロいと思うが、それを上回るほど必死に結婚相手を探しているのを知ってると魅力が半減する可哀想な大人である。
「待ってたわよ。松毬くん」
 入学してから保健室にお世話になったことのない俺としては、養護教諭とは挨拶程度の関わりしかない。待ってたと言われるような約束をした覚えもなかった。
 何のことか、心当たりはあるけどな。

 養護教諭の机の真後ろには、襖で仕切られた四畳半の部屋がある。岡村に世間話の流れでその部屋の話をしたところ、保健室登校の生徒やプライベートな話をしやすくするための場所だと教えてもらった。
 襖は閉じられているので中は見えないが、ベッドは二つとも空いている。森石がいるのは畳部屋の方だろう。揃えて置かれた靴もちゃんとある。気になるのは、その隣にある茶色のローファーだ。

「森石の件かな」
 疑問よりも確信に近い俺の言葉に、養護教諭は頷いた。
 丸椅子を用意してくれたところを悪いが、腰掛けるつもりはない。
「森石から話を聞いたの?」
「それが全く話してくれないのよ。身体の状態は教えてくれるのだけど」
 眉尻を下げられると協力したくなるのが普通だろうか。一度だけ考えてみたが、森石絡みになると俺にとっての優先順位は少しだけ変わる。
「森石が何も言わないのなら、俺は何も言うつもりはないよ」
 俺がいない時の森石の行動は、紛れもなく本人だけの意志だ。それがいいたくないのか、説明ができないだけなのかわからない以上、勝手に話すつもりはない。
 養護教諭は一瞬だけ呆気にとられたようだったが、慣れているのかさらに食い下がることはなく「そう」と目を伏せた。

 何か考えている様子ではあったが、それ以上の言及はなかった。俺は声もかけずに畳部屋を開く。小声の養護教諭と違って普通に話をしていた俺の声は届いていただろうし、森石と一緒にいるであろう相手が誰かわかっていたからだ。
 畳部屋の真ん中には四つ足のテーブルが一つ置いてある。俺から向かって左側に森石が座り、右側には花柴が座っていた。予想通りである。
 頬の傷に触れていた森石が俺を見て名前を呼び、花柴が不機嫌そうな顔になって「声もかけずに開けるのはどうなんですか?」と不満を漏らした。
 保健室にあったものを貸してもらったのか、森石は制服から体操着に着替えていた。

「今回は緊急案件だったんだよ」
 靴を脱いで森石にリュックを差し出す。後ろ手に襖を閉める俺をじっと見ていた森石が、緊張を解くように小さく息をついた。
 いつから花柴がいたのかわからないが、また余計なちょっかいでもかけらたのかもしれない。あるいは、単純に空腹がつらかったか。
「どうしてロックを解除する番号がわかったんだ?」
 リュックから弁当箱を取り出した森石が俺に問いかける。
「書いてあったからだよ」
 短い説明だが、森石にはわかるはずだった。「そうか」と頷いた彼は、いつも通り挨拶をしてから弁当箱の蓋を開ける。

 森石の席は毎朝見ているので知っていた。すぐリュックを回収して戻ろうと思っていた俺は、机の横を見てそう簡単ではないと気づいた。リュックのかけてあるフックの部分に自転車用のU字ロックと一つと、ファスナーの部分に小型の南京錠が一つの計二つの鍵がついていたのだ。どちらも購入時には一緒にいたはずなのだが、こんな風に使われているとは全く知らなかったものである。
 そこで素直に連絡を取らず、自分で開けようとしたのは完全なる俺の趣味である。鍵開けは好きなのだ。二つともナンバー式で、解除に必要なのは一つにつき四桁の番号だった。思いつくだけの数字を片っ端から試した。この手の番号は忘れることを考えて身近な物や、別のパスワードに使っているものと同じにしている人間が多い。金銭管理を任されている俺は、森石の通帳番号も把握していたのでそれも試してみた。だが、どれも違っていたのだ。

「何の話です?」
 花柴が俺たちのやり取りを見て、仲間はずれにするなと言いたげに口を挟む。
「森石はリュックを大事にしてるんだなって話だよ」
 鍵は二つ、必要な番号は一つ四桁で合計八桁だ。そこまで考えて、俺は毎朝もらっているメールの件名に書かれている数字を思い出したのだ。
 その数字を毎日変える面倒をかけてまでリュックを大事にしているとは知らなかった。考えてみれば、最初に会った時も森石は同じリュックを胸元に抱きしめるようにしていた。

「そういえば、いつも同じリュックを使ってますね」
 花柴が森石に視線を向ける。黙々と箸を進めていた森石がそれをかわすように俺を見た。
「大事なのは中身の方だ」
 そういわれると俺が真っ先に思いつくのは金銭類だが、森石の財布に入っているのは子どもお小遣い程度のものでカードの管理をしているのは俺である。かといって、一円でも価値はあると思っているほど、森石が金に執着しているようには見えなかった。
「そんなに大事なものなら、ロクでもない人間がいる場所に持ってくるのは危険だと思いますけど?」
 ロクでもない人間と言いながら俺を見るのはわざかな。
 否定はしない。だが、花柴に言われるとどうにも逆らいたい衝動に駆られてしまう。多少ながら俺の気が立っているせいもあるかもしれない。
 大事とはいえ、わざわざ学校で鍵をかけているのだ。森石がU字ロックと南京錠を買ったのは先月である。つまりは、そう思わせる何かがあったということだ。

「森石。だいたいのものは買い直せばどうにかなるよ?」
 森石はよく物をなくしては俺と買いに行くが、その度に罰の悪そうな表情を見せる。俺の同居人は無表情の方が多いのでほんの一瞬の変化ではあるが、だからこそ本音に近いと思う。
 元々、俺に金銭管理を任せた理由が自分だと無駄遣いをするからとのことだったが、物をなくした原因の予測はついている。無駄ではあっても森石が悪いとは到底思えなかった。

「そういうものじゃない」
 一瞬だけ眉を潜められた。どうやら、森石の少ないこだわりに関するものだったようだ。
「ごめん」
 素直に謝れば、なぜか花柴が目を見開いた。
 いや、俺だって謝る時は謝りますけど?
 森石が傷を撫でて言い淀む。動揺しているのが伝わってきたので、これ以上は触れないようにしようと決めた。それだけ大事な物が何か気になるが、わざわざ花柴のいるところで聞くものでもない。
「花柴は何してるの? サボり?」
「サボりですけど、授業よりは森石くんの方が大事です」
 花柴いわく、保健室に入る森石を見て追ってきたそうだ。
 成績だけなら優等生の花柴ではあるが、平気で遅刻もするし、サボりもする。そのうちの何割が森石に関係するものなのだろうか。

「花柴って森石のこと好きだよね」
「同志ですからね」
 そういう花柴は誇らしげだ。森石のかわりに俺が全力で否定してやりたいところだった。
 ちゃんと聞いたわけではなくとも花柴がサブマサウルスが好きな理由と、森石がサブマサウルスにこだわる理由は全く一致しないことだけはわかる。
「花柴ってなんでサブマサウルスが好きなの?」
 あまり掘り下げるとロクな話にはならそうだが、俺が引きつけておいた方が森石も安心して食事ができるはずなのでそっちを優先することにする。
「現存する唯一のティラノサウルスだからですよ」
 胸元に手をあてて、花柴が恍惚とした表情を見せる。
 俺は彼女の髪留めを見ながら、恐竜ではなくティラノサウルスと表現したことについて考えた。
「花柴って恐竜映画が好きそうだよね」
「ええ。好きですよ。あっ、ただのハートフル映画はお断りです。私が求めているのは、人を恐怖に陥れるティラノサウルスだけなので」
 両手を組んだ花柴が祈るように目を閉じる。
 それと全く同じことを中学時代に言ったことを思い出して、頭を抱えたい気持ちだ。これが黒歴史か。
「どんなに権力があろうと、金があろうと、そんなことは一切お構いなしに殺されていくしかないんです。人間なんてただの無力な生き物でしかないんですよ。最高じゃないですか」
 うわあ、俺と感想がほぼ一緒でつらい。むしろ、俺の方が花柴と同類である事実に泣きたくなる。
「他はさておき、鯨土パークのサブマサウルスはそれとは反対に見えるけど好きなの?」
 俺は恐竜どころかサブマサウルスにも詳しくないが、鯨土パークのサブマサウルスが暴れる姿だけは全く想像できない。

「そういうフリをしているだけですよ。松毬くんが一番よくわかっているんじゃないですか?」
 演技をするほどの知能があるかどうかはわからないが、この質問に関してはノーと答えるのが理想的だろう。
 どこでしくじったのか、俺の本性らしきものを花柴は知っているので性質が悪いのだ。
 参ったなー。俺はそんなこじらせた中学二年生ではなく、健全な高校生でいたい。
「俺は花柴ほど優秀じゃないからわからないよ」
 苦笑してみせると、花柴に鼻で笑われた。
「力があるのに使わないのは優秀かどうかというより、ただの怠慢じゃないんですか?」
 あー、これが夢だったら今すぐ殴りかかってもなんの支障もないのに、現実は本当にクソだ。
 俺だって好きで大人しくしてるわけじゃない。我慢なんてストレスがたまるだけだ。なのに、頑張ったところで花柴に本性を指摘される程度の演技だ。
 何か言い返さないといけないのに、頭が熱い。口を開くと余計な言葉を吐いてしまいそうだった。

「松毬」横から呼ばれて顔を向ける。弁当箱の蓋を閉じた森石が俺を見ていた。「僕は教室に戻る。松毬はどうする?」
 それが単純な言葉以上の何かを問われているように思えたのは、俺の気のせいなのだろうと思う。
「……俺も戻ろうかな」
 こんな場所で話しているといつ道を踏み外すかわからないが、教室だとそれなりに人の目があるだけ万が一は起こりにくいはずだ。
「あんなところ、戻らなくてもいいんじゃないですか?」
 明らかに森石に向けられた花柴の質問に対し、森石は何も答えずに手早く準備を済ませると畳部屋を出た。俺もそれに続く。

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