サブマサウルスのいるところ 2
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地下から階段を上って地上に出る。遊園地特有の音の奔流と日の光に目眩がしたが、閉園間近のせいか人は少なくなっていた。
花柴に遭遇する前に帰ろうと出入り口に向かえば、見覚えのある人物が人々の流れに逆らって近づいてくるところだった。
チッ、遅かったか。
足早に俺たちに向かってくる女は、数時間前に学校で見た相手だ。俺の隣の席には、怪獣と同じぐらい厄介な相手が座っているのである。たまたま似た顔の人だと思いたいが、その頭につけたティラノサウルスの骨で出来た髪留めまで同じなら疑いようもなかった。花柴である。
肩口まで伸びた髪を整えながら近づいてきた花柴から、香水なのか甘みのある花の匂いがした。走ってきたのか肩で呼吸をしている。同じリズムで揺れる胸元を通り過ぎる男が目で追った。今の彼女はそのことに気がついていないだろう。そうでなければ、あからさまに不機嫌そうな顔をするか、相手を睨みつけるはずだ。
背負っていたリュックの肩紐を両手で掴んだ森石が俺を見た。どうするのかと言われた気がして考える。俺だけなら花柴から逃げ切るのは可能だろうが、森石は運動音痴だ。走るのが速くない上に持久力も無い。
大きく息をついた。仕方ない。これは事故だ。諦めよう。
「返事もありませんでしたし、ここにいると思いました」
呼吸を整えながら、花柴が勝ち誇ったような顔をする。勝負をしていたわけではないのに、負けたような気分になった。
「急いで帰ったみたいだから、用事があるのかと思ってたよ」
チャイムが鳴るなり花柴が教室を出たので、今日なら大丈夫かと思って鯨土パークに来たのだ。
「用事はありましたが終わらせてきました」
そう言って森石を見る。だが、俺の同居人は俺から視線を外さない。
何も花柴が嫌いというわけではない。今のところ、誰と会っても森石はこんな感じである。
「花柴が森石に会いたくて用事を終わらせてきたらしいよ」
言外に含まれたものを通訳してやれば、森石はようやく花柴を見た。
「サブマサウルスには会えましたか?」
俺に対してよりも柔らかい口調で、花柴が問いかける。
彼女の垂れ目がちな瞼の下にある瞳が、薄らと膜を張ったように水気を帯びる。それは今にも泣き出しそうに見えるものだ。誰かに質問をする時、花柴はそんな顔をする。俺が童貞だったのなら、狼狽えながら花柴の欲しい答えを探していただろう。仮に慌てたとしても彼女に泣いて欲しくないと思ったに違いない。
最初はそうやって相手を都合良く扱うための演技をしていると思っていたが、最近は別の理由がありそうだとも思っていた。
森石が頷く。
「相変わらず、森石くんはサブマサウルスに好かれてますね」
何か返答しようとした森石は慌てて口を閉じ、俺を見た。困っているらしい。
それなら話題を変えてやるか。
「花柴はいつも通り、祈りに来たの?」
彼女はティラノサウルス信者だ。外見だけなら中年親父に受けしそうな女なのに、持ち物を見るとティラノサウルスに関するグッズに溢れている。そのせいか、ティラノサウルス科であるサブマサウルスに対して、毎日といっていいほど祈りを捧げているそうだ。
俺が初めてその姿を見たのは五月だ。森石と一緒にサブマサウルスのいる地下に下りた際、先客だった花柴がケースの前に跪いて手を合わせているのを見た。彼女の祈る対象が見える位置にはいないにも関わらずだ。俺が想定できる祈りの対象は人や偶像、動物ならば神様に関する種類である。理解ができなかった。もっとも花柴の信仰理由がまともであるとは思えないので、最初から理解なんて無理な話だ。
「ええ。でも、なかなか姿を見せないんですよね」
俺たちが来る時にいないことも多い。それでも森石がいる間には出てくるので、いるのが珍しいとは思わなかった。
森石は動物に好かれやすいところがある。サブマサウルスも同じなのかもしれない。
「それは残念だったね。俺たちが出る時に奥に引っ込んだみたいだから、今はいないと思うよ」
「そうですか……しかしながら、森石くんには会えたのでよしとします」
何がよしなのか、俺は全くよくない。
会うだけなら学校でも可能なはずだ。森石は今のところ健康優良児なので、学校にいないということはない。
「森石くん、恐竜の良さがわからないような人間より、私と一緒にサブマサウルスに会いに行きませんか?」
花柴は森石に会う度に似たようなことを言っているらしい。だが、毎度のごとく森石は何も答えなかった。
沈黙は相手によって都合よく受け取られやすいのだが、森石の場合は視線を逸らすので拒否しているのは伝わるだろう。
閉園を告げる音楽が流れ始めたので時計を見る。どうやら、買い物に行く時間はなさそうだ。
「新手の宗教に勧誘されそうなんでお断りします」
「松毬くんには聞いてませんけど?」
「茶々を入れられたくなかったら、俺の目の前で誘うのはやめて欲しいかな」森石の背中を軽く押す。頷きが返ってきた。「夕食に間に合わなくなるから、先に帰らせてもらうよ」
森石の数少ないこだわりの一つが食事だ。俺の同居人の腹時計は正確で、その持ち主は時計に忠実なのだ。家事全般を担当している俺としては、なるべく間に合わせたいのである。
遅れたところで文句を言われることがないのだが、目に見えて落ち着きがなくなるのをみると虐待でもしているような気分になるのだ。餌を待っている時の動物もウロウロするが、あれによく似ている。そういうところを見ると、森石は動物に近いのかも知れない。寝る時間もほぼ固定で、俺と違って寝つきもよかった。
「そうですか。では、また明日」
花柴は森石だけに向けていうが、当の森石は花柴を全く見なかった。
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