おりこうになったね。賢くなった。
月に一度の名誉院長の診察日。
いつも、あたたかく、そして、厳しいアドバイスをいただいています。
昨年末から、名誉院長の教え
①ありがとうを自分から言う。
②ごめんねを自分から言う。
③ほめる。
④大丈夫、大丈夫と言う。
を努力して守り、だいぶ身についてきました。
知的障害、自閉症、躁病のある長女と暮らしていくことは、かんたんなことではありません。
今までは、自分が障害のある子を育てている、とても大変なことしている
と自分が被害者だと思いこんでいました。
そのせいか、いつも、暗くくすんだ気持ちで毎日を過ごしていました。
自分はどれだけ大変な生活を送っているか、自分がどれだけ、長女のせいで、苦労しているかというようなことを、私は、めんめんと名誉院長に訴えていました。
名誉院長からは、
「それなら、おかあさんをやめるか。」とまで言われたことがあります。
そしていつも、
「ももこは、もっと大変なんだよ。」と言われました。
それはそうです。
障害を持って生きているのは、長女なのですから。
でも、昨年末からは、名誉院長の具体的な教えを、しっかりと守るようにしたのです。
それは、簡単なことではありませんでした。
癇癪をおこして、理屈の合わないことや、思いついたことを、大声で母親に怒鳴り、怒りをぶつけられ。
罵声を浴びせられ、躁転して攻撃性の増した長女の行動に振り回され、なんで私がこんな目にあいながら、先に「ありがとう」とか、「ごめんね」とか言わなくちゃならないの。
こんなに無茶苦茶言われながら、どうして私が先に、ほめなきゃならないの。
と思いながらも、煮えくり返るような思いを、ひとまずおさめて、名誉院長の言うとおり、こちらが、先に謝ってみることに。
だいたい、長女が怒りを向けているときは、その怒りの行動の以前に、すごく頑張って疲れていたから、とか、すごく緊張した状態が続いたとかいうことが、あることが多いようです。
だから、こう言います。
「ごめんね。今日はとっても疲れてしまったんだね。
でも少し辛抱してね。おやつを食べようか。」
すると、ほんの少し、長女の感情に隙間ができます。
とがってた三角の目が、じっとしてこちらを見ます。
そこで、少しほっと呼吸して、場面を変えます。
おやつにしたりして。
スキマのスイッチですね。
そこで、私も少し心に余裕ができて、全力少年とか歌いながら、おやつです。
自分の心のイライラが燃え上がりそうになったら、早めに火を消します。炎が燃え上がってしまうと、心の消耗が激しくて、立ち直れなくなります。
そして、その、いやあな思いは、何日も引きずり、くすぶり続け、ますます、自分が被害者意識の塊になってしまうのです。
長女の心も、落としどころにしっかり着地すれば、すぐ、機嫌がよくなります。
長女の方が立ち直りが早いです。
ほめるところは、ありとあらゆるところにあります。
朝起きてくれてありがとう。
うちに帰ってきてくれてありがとう。
一日中ありがとうです。
そのせいか、長女も「ありがとう」と、よく言ってくれます。
不安定な天候や、難しい言葉。
字が読めないのに、バスや電車を使って登園するということは、長女の自信にもなっているけれど、どれだけ不安なことでしょうか。
だから、
「大丈夫。大丈夫。」と声をかけています。
そして、今や私は、努力しなくてもごく自然に、
ごめんねや、ありがとうや、大丈夫が言えるようになりました。
そのせいか、この三連休も穏やかに過ごすことができました。
そのことを話したら、名誉院長は
「お母さんおりこうになりました。賢くなりました。
ももこも成長したし、お母さんが成長したんだよ。
心に余裕ができただろう。」とニコニコして言いました。
いくつになってもほめられるのはうれしいものです。
そして、
「私は今まで、自分が被害者だと思いこんでいました。」と言ったら、
「そうだよ、他の人からは見えるんだよ。自分が気が付かないだけでね。」ですって。
先生は、昔は長女の主治医だったから、母親の愚かしいところ、もう何十年も、まるっとおみとおしだったんですね。
「74歳になってやっと気が付くなんて、遅いですね。」と私が言うと、
「早い、遅いということではなくて、気がつくか、気がつかないままでいるかなの。」とのこと。
いつも、なるほどです。
自分以外の人には見える、自分自身のことを知るためには、他の人の話をよく聞くことが必要なのですね。
自分のかたい殻に閉じこもってばかりいないで、外へ向けて開いていかないと。
そして、人の話をよく聞いていこう。
今、生きている人々の命を尊重して、決して、無意識に人を見下すようなことをしないようにしよう。
そして自分をほめていこう。
今まで、本当に嫌な奴だったね。私。
こんな私が母親で、苦労してきたね。
ごめんね。