見出し画像

流れゆく出会いの中でダンスを踊る

誰かを笑顔にさせたいと日々行動しているひとは、孤独と戦い続けていて、それでも笑顔を見せている。
いつもみんなに笑いと笑顔を与えるけれど、寂しい別れもあり、そこから生まれた孤独と隣り合わせなんだ。わたしも誰かを笑顔にするために面白い話を考えたりするけれど、その場が過ぎると、孤独で胸が押しつぶされそうになるときがある。ただ、そんな思いをしている人がわたしだけではないということを知って、それで少しだけ安心したりして。

Twitterで出会ったその人は、学校へ行けない子供たちのために居場所を作り、勉強を教えていた。出会ったときは、市にその居場所を認可してもらえるように奮闘しているところだった。わたしの子どもも学校に行けていないので、不登校の子たちの居場所への出席が所属している学校の出席日数にしてもらうには、自治体からの認可が必要だということを知っていた。
2020年の春からTwitterを始めたわたしがその人と出会ったのはその年の秋ぐらいだったかな。
ツイートを読んでいて、日々子どもたちの為に楽しい学習方法を提供していたし、同じように大きな目標を掲げている人と共に日々戦っていた様子をいつも見ていたし、応援していた。

パタリとそんなツイートが見られなくなったその後、彼が亡くなったという話を聞いた。

なんで周りの人のために日々頑張っている人の命から、神様は奪うのだろう。わたしはニュースの災害情報を見聞きするときも日ごろから感じていて、いつも生き生きと活動していた記憶が大きいほど、まだどこかで元気にしているのではないかと錯覚してしまう。

そして数か月が過ぎ、彼が昔遺した絵本を見つけた。

このツイートは2020年の秋ごろにされたもので、その頃は何となく寂しい話だなと感じていたのだけれど、今読み返してみると、日々みんなの幸せのために奮闘していた彼の苦悩のようで、また、大きさが全然ちがうけれどわたしも感じていた寂しさに近くて、救いようのないネガティヴに陥ってしまう。

子どもたちを笑わせながら旅をするピエロは、その途中で悲しい顔をしている女の子に出会い、その子を笑わせることによってだんだんと女の子のことが好きになっていく。しかし、ある日知らない男の子を連れてきて、二人を祝福するのだけれど、その悲しみを誰にも見せないように、誰にも気づかれないように、人々を楽しませながらまた旅を続けていく。

やがてピエロはおじいさんになり、死を迎えるのだけど、その時に自分はこれでよかったんだと自身を認める。

自分が幸せになるためには、なるべく他人と比べない方がいい。そんなことはもう何回も聞いているしわかっているけれど、人を楽しませる時の幸せと隣り合わせで、誰しも寂しさを感じているんじゃないのかな。

特にTwitterなどのSNSでは幸せな部分しか見えないから、その他人の幸せの裏側にある寂しさや孤独も分かるようになりたい。

彼の遺作は、そういうことを気づかせて貰えた。腫れぼったい目を化粧で隠しながら、いつも通りの生活を送るのでした。

いいなと思ったら応援しよう!

はむむ🐹
「はむむ🐹面白いな」「はむむ🐹応援するよ~」とおもいましたら、サポートしていただけると飛び上がって喜びます!

この記事が参加している募集