あなたは存在しない
そこに人がいたとする。
私はその存在を認識する。
会話などをすれば
記憶にも存在が焼き付くだろう。
しかしその場を離れた瞬間
たちまちそこにいた人の存在の確かさが
危うくなることをなぜか感じてしまう。
本当に存在したのだろうかと。
曖昧な予測のもと
一応確かだと思い込む。
私が仮に同じ場に現れ
同じ人がそこにいて
その存在を再度認識したとしても
同じことを繰り返すだけである。
場と存在は切っても切れない関係であり
私は一つの結論にたどりつく。
あなたは存在しないと。
同様に私も存在しない。
あなたがスマホか何かしらの機器で
確かにこの文章を今読んでいるが
私が存在していたからこそ
この文章がまさに存在していて
文章の意味を解釈している
あなたがそこに存在していると思っていても
だからと言って
私の存在に対する確証とは
一切関係のないことである。
言い方を替えれば
多くの存在はあたかも打ち上げ花火のような
現象に過ぎないのではないかと
思わざるを得ないのがこの現実世界であり
つまりこの感覚や思考は
私の超現実世界でもある。
あなたは存在しない。
少なくとも私の世界では。
もちろん私も存在しない。
少なくともあなたの世界では。
それを否定する何かも存在しない。
私にとっての帰巣本能は
放置すれば現象化する存在を
「存在」へ引き戻す重要な作用であり
錯乱状態を回避させるものだ。
あなたが私の存在を確かに認める時
私はあなたの心に花火を打ち上げるだろう。
しかし全ては現象に過ぎないのである。
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