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いい大学よりもいい高校に入るほうが幸せだったりする

今から45年前。私は杉並区の浜田山駅近くの都豊多摩高校を卒業しました。好きなことを人に言いたいというミーハーの原点はこの豊多摩高校で培われたと思います。

私が高校受験した1977年はまだ都立は学校群制度。私が住む杉並区は中野区、練馬区と一緒3学区と言われて私が受けた33群は豊多摩高校をはじめ杉並の高校が3つ入っていました。学校群はどこに自分が受かるかわかりません。合格発表で豊多摩のところに自分の名前があったことは忘れられません。

私服だしメイクもピアスも下駄もスケードボードもなんでもOK。金髪やスキンヘッドにモヒカンもあり。しかし一番目立ったのは学生服。学年に2人くらいて、下駄に腰に手ぬぐいは目立ちました。

敷地面積は23区でも最大規模。ラグビー、サッカー、野球ハンドボール、テニス。とにかく広いから場所をとる部活はみんなあります。素敵なのは緑が多いこと。なまけの森と呼ばれる森や校門から校舎まで、神宮外苑風な銀杏並木があります。付き合う人ができるとそこを手をつないで歩きます。自由すぎる校風で恋愛大歓迎。先生も応援してくれるんです。

部活は軟式テニス。ビヨンボルグというテニス選手が着ていたタッキーニというブランドのテニスウエアが着たくて入部。試合にはウエアを新調していくのですが試合には一度も勝てた記憶がありません。サーブが入らず前衛の子に迷惑ばかりかけていました。

高校2年の夏。1978年。サタデーナイトフィーバーの映画が流行り世界的なディスコブームがおきました。新宿や吉祥寺のディスコに放課後よく出入りしていました。当時ディスコは食べ放題で女の子は、入場料無料。アルバイトしていた国内初のカウンターインドカレー屋ボンベイは、西武新宿駅の下のサブナードにありました。階段上がればすぐに歌舞伎町。

国内で一番大きなディスコトゥモローUSAやカンタベリーハウスビバ館、ギリシャ館、シンデレラ、アップルハウスにアルバイトの後に寄っていました。携帯のない時代に毎日集まれてたのが謎です

高校3年のときは親が千葉に引っ越したので一人暮らしをしました。高円寺の下宿での一人暮らし。インベーダーブームで喫茶店でゲームばかりしていました。そして今も大好きな麻雀を覚えたて、いつも麻雀がやりたくてメンバーを探していました。

私服なんで毎日着るものに悩みます。映画のアメリカングラフティとグリースに影響されて50年代のアメリカの高校生風に、サドルシューズとサーキュラースカートやボーリングシャツで通学していました。聞くのはユーミン。流線形80のカセットテープを擦り切れるまでリピートしていました。

豊多摩の良いのは2年3年でクラス替えがないところ。担任を先生とは呼ばないでナオミちゃんと気軽に言っていました。このクラスの出会いが一生の出会いになりました。みんなが結婚したり転勤する30歳くらいまで、年末年始はスキー、春は井の頭公園でお花見、夏は海。みんなで集まり遊んでいました。他のクラスでもそうらしいです。

自分の幸せを作るのは自分。自立し誰にでも自由に意見を言う。常識を疑い、新しいことを探す。よい校風です。同じ時代を生きた方でも校則で縛られたり、スカートの長さで怒られたりしている学校もありました。そんなことで人を判断するなんて無意味です。

人生で一番多感な時期を自分の頭で考え、自分の手足を動かすを教えてあげてほしいです。英単語や方程式、難しい漢字よりも大切なことがあります。自分の人生を楽しみながら自分で歩く。自分の好きなことに一生懸命になるときは早い方がいい。そしてみんな違ってちょうどいいし、誰もが上も下もがないのです。いい大学に入るよりもいい高校に入るほうが人生が輝くかもしれません。

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