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愛はいつまでもあると思っちゃいけない

若い時は自分も親も伸びしろしかなく、親がずっとずっと元気で、かつ自分のために愛をかけてくれるものと考えるもの。親は子どもにとっていつまでも親でかつ逞しくあってほしいものなのです。

私は突然母を亡くしました。人生観が変わるほどの衝撃でした。ヒトって死ぬんだも含めていろいろと考えが変わりました。人生は親が生きている時とそうでない時の2つに分かれることを知りました。心不全。誰もいない自宅での死亡なので検死の医師がきました。本人さえても亡くなったことが自覚できていないほど一瞬のことだったよう。

30年前の初夏。ゴールデンウィークが明日からスタートという気持ち良い4月最後の金曜日の夜。母が自宅の居間でで倒れていて息をしていないと兄から夜中12時過ぎに連絡が来ました。会社の歓送迎会が終わり遅くに帰宅したときです。

携帯電話のない時代、部屋の床に置いてあったファックス機能のある留守番電話の伝言メモを知らせるライトが部屋の中でピコピコと光っていた光景は今も思い出します。

葬儀は普通の専業主婦の割にかなりの方に来て頂きました。北関東出身の両親は、兄弟が多くて親族だけでも座れないほどでした。父今みたいに斎場のない時代は大きなお寺を借りてやりました。

突然だったし当時は母と一緒に住んでいないから亡くなって10年くらいは夢のなかにいるようでした。突然の悲しみというのは20日後にストレスのピークを迎えるそうです。確かに6月前に体調も悪くなりました。

しかしその悲しみや不調は信じられないほど多忙な仕事が救ってくれました。同僚やクライアントと毎日夜中まで仕事に格闘していたら日常が少しずつ戻ってきました。「ヒトっていつか死ぬんだ」「生きるって亡くなるヒトを送ること」という新しい死生観が少しずつ自分のなかで確立していきました。

振り返ると母が亡くなった辛さを周りには話さなかったような気がしています。同級生のご両親は皆当時は元気だったし、いるはずの人がいない不思議な感覚をコトバにできなかったんだったんです。

残された父が心配でしたが、兄夫婦はずっと一緒に父と住み、亡くなる90までケアしてくれました。孫たちとも仲良く幸せだったと思います。今も70歳を過ぎた友人たちも90代のご両親を大切に思い施設に預けながらもケアされています。頭が下がります。

若いとなかなかわからない親のありがたみ。メールだけでも、ラインの写真一枚でもよいからご両親に送ってあげてください。親は世界一の味方であり応援団。ご両親は子どもの幸せだけを願い育て、自立後はいつも応援しています。心身の健康と幸せは最大の親孝行。親孝行してください。心配されていると思います。

スタッフはご両親の大切な宝物。スタッフが体調が悪いとか、コロナになったとかの連絡がくるといつもいつも心配で心配でたまりません。体調の悪い時はお互い様。家族以外でも遠慮なく頼っていいと思います。ご両親の足元にも及ばないけれど、ご両親の気持ちをわかろうとする会社でありたいと思います。


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