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親切にすると決めてしまうこと

この人はよくて、この人はダメ。若いときは自分の好き嫌いでヒトを判断していました。しかも損得で判断していたかもしれません。この人ダメとかこの人嫌いがあるとなんか気になるのです。それがないほうが自分が気持ちよくいられることを知りました。それがわかるまでかなり時間がかかりました、

その反省もこめて30代からは自分のために働くのではなく、クライアントを喜ばすために親切に働くと決めたら劇的にストレスが減りました。クライアントのためや、周りのため。だから必要な知識を入れて学ぶとか調べるが苦痛でなくなりました。やらされ仕事から卒業した瞬間です。喜んでくれる、認めてくれるヒトがいるほうが俄然やる気がでました。

そして私は電車で優先席が空いていたら座るようにしました。そのほうが当たり前に席を譲れるからです。疲れている方や荷物の多い方、子供連れの方にバンバン席を譲っています。なんであいつ目の前の妊婦さんに席を譲らないで携帯をみたり寝たふりしているのかとその人にイライラするよりも遠くからでも声をかけて席は譲ります。

バスでベビーカーかスーツケースの方がいたら毎回運ぶのも手伝います。ベビーカーを押しているお母さんの電車の乗り降りは横から声をかけて必ず横からそっと持ちます。ホームとの隙間に何かの拍子で落ちないようにするためです。海外ではベビーカーの方を手伝うのは当たり前。階段でも声をかけてもちろん手伝います。

自宅の周りは海外の観光客が多いので昔から声をかけてお店に案内したりしています。海外で道に迷ったら不安だからです。そして親切にされたら劇的に嬉しいからです。家族で来られている方が自撮りしていたらガンガン声をかけて撮影するし、お店で混んできたらすぐに席を立ちます。タクシーが拾えないお年寄りには道路で一緒に拾ってあげます。横断歩道で足が遅い方がいたら一緒に歩きます

親切にするといいヒトみたいに思われますが自分のためなのです。お節介をすると決めた私の流儀に付き合わせてしまっているのかもしれません。会社でも同様です。縁あって入ってくださった社員は、いくつになってもご両親からお預かりした大切なヒトなので愛すると決めてしまっています。

一人暮らしのスタッフも多いので具合が悪い時に気軽に相談できるように近所の親戚のおばさんみたいな気持ちで接しさせて頂いています。北関東の愚直な優しい母に育ててもらったのでそれを若いヒトに還せればと感じています。

私は会社の周りや自宅の近所で歩いているといろいろなヒトにご挨拶頂きます。ニコニコしているだけでこんなにも幸せになります。親切をしたいと思うのではなくて親切やお節介にしたい私に、周りを付き合わせているだけかもしれません。しかも親切だと意識しているうちはまだまだですが。

仕事の場合はその方の幸せを願い、言うべきことを愛をもって言い、日常生活は近所の方にこやかに挨拶をして、子供や若い世代を宝と思って接しています。特に小さな子供を育てているお母さんと20代の不安な世代を応援しています。以前よりは自分勝手な人が残念ながら増えた気はしていますが、お節介はずっと続けていきます。それは自分のためだからです。親切は気持ちよく生きるための私のわがままかもしれません

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