『エビス・ラビリンス』試し読み(3)
「霊柩車で帰ります」 清水勝一
「恵比寿ってどこですか」
早朝の電話は心臓に悪い。受け答えがぞんざいになっても多少は許されたい。午前五時五十五分、着信音に起こされて三秒で明るく元気にお返事できるほど神経が太くない。就業時間外の呼び出しは何度あっても慣れない。何より朝から車を運転しなくてはならないのが辛い。
「知らないです。渋谷。はい。篠田さんと。はい。行きます」
その人は恵比寿にいたそうだ。昨日未明に駅の外で発見されたという。地名を聞いても私にはピンとこない。おしゃれなところというイメージだけで、縁も興味もない土地だ。渋谷区だと言われてなんとか自分と繋がった。大して好む場所ではないが行ったことはある。どこであろうと、二月の夜明け前はさぞや寒かっただろう。
その人は渋谷警察署に収容された。持ち物から身元が判り、身内に連絡が取れたのは発見された日の夕方だった。翌日弊社へ電話を寄越したその人の身内、兄夫婦が依頼主だ。
「この度はたいへん御愁傷様でございました」
実感のなさそうな依頼主は、巻き込まれた形には違いない。年の離れた兄弟がどんな関係だったのか、こちらからわざわざ伺いはしない。長く連絡を取らなかった弟が住所不定のまま都会の駅前で亡くなったと突然聞かされて、朝一番の新幹線で駆けつけるくらいの関係だとはわかっている。
警察署で、検視のため都内を巡回している監察医が到着するのを待った。事件性が認められてはいないから、ほとんどの場合数分で終わる。到着するのがいつになるかわからないので、その待機時間を覚悟しておかなければならない。発見が昨日未明ならば死後二十四時間は既に経過している、と私は改めて腕時計を確認した。死因に不審がなければ、本日中に火葬はできる。
その人は渋谷警察署の地下にいた。検案室や霊安室というのは大抵車両が出入りしやすい場所にあって、地下駐車場に繋がっていることが多い。そこではじめてその人と対面した。
その人はステンレスの寝台に裸で寝かされていた。分厚いビニール製の防水シートが敷いてある。長く伸ばした髪が黒々としていて、初老の依頼主と比べて若い印象があった。
「ホームレスって聞いたから細いのかと」
「臭いなら覚悟してたけどこうきたか」
その人の胴は私の腕で二抱えほどあった。中肉中背の私と、成人男性としてはスリムな同僚の体重を足しても負けそうだ。
シートでそのまま裸体を包み、寝台の隣へ棺を設置して移動する。体液や腹水の流出、皮膚の破損、感染予防など気にするべきことは多い。だが、何よりその重量を屈強でない二人で動かすことに集中した。
葬祭業は体力勝負の肉体労働である。
「入ります?」
「ギリだな」
目測する同僚は三年先輩だ。頼りにするしかない。
持ち込んだ棺は最も一般的な成人用サイズで、省スペース仕様の組み立て式だ。折り畳まれた側面を立てながら組んでいく。簡単に組み立てられるということは簡単にバラせるということだ。内側からの圧力に強くないので、無理矢理押し込んで壁が外れるなんてことも想定できた。簡素なのは安易なコストダウンではない。火葬が主流である日本の棺は燃えやすくなくてはならない。
(続く)