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ukka「TOUTOI」にみる"自己認識"

あなたは"自分"のことをどう思っていますか?


カッコよくて/美しくて周りに優しい人?
めんどくさいダメでイヤなやつ?

自分ってなんなんだろ、他人から自分はどう思われてるんだろ、と誰しもモヤモヤしたことあると思います。

まず結論から言うと"自分"って存在してなくて、他者との関わりの中で生ずる認識です。

いやいや、おるやんか??何言ってんの??ってなりますよね。

でも"自分"って概念は初めからはなくて、歴史の中で生まれたんだそうです。(哲学史無知なので勉強します…)
デカルトの「我思う故に我在り」は、自分の存在を否定しようとしてもそこにある意識は否定できないということで、はっきり自我ってあるんやで!ってニュアンスとも違うようで……

我々日本人は無宗教という自意識が強い人がほとんどですが、ふわっと神道や仏教を信仰してます。かっちり神道一筋!仏教一筋!ではなく、クリスマスやハロウィンも色々受け入れちゃうガバガバな感じです。
鈴木大拙著の『日本的霊性』によると、キリスト教やユダヤ教などでは大陸に国境が引かれて"外"から侵略されることで"自覚"するけど、日本は島国で、大昔はお隣とたま~に交流はあるけど、基本的に外との関わりがないため自覚がないんだそうです。だから無宗教って言っちゃう。

つまり、他者という外から自分とは異なる人間と関わりがない限り、自分って何なのか見えないんですよね。


ukkaの3rdシングル「T」に収録される新曲、「TOUTOI」が先行でサブスク・配信でリリースされました。(唐突)



この歌の歌詞が自意識についてだなぁなんて思ったので自分なりに妄想していきたいと思います。


鏡に映っている自分と手を重ねて 比べている どんな私でも ねえ 尊い?


まずAメロの歌詞からみていきます。
「鏡に映った自分と手を重ねて比べている」
の鏡に映った自分とは、クーリーの「鏡に映った自己」、つまりは他者から見た自分。

TOUTOIの歌詞の主人公(以下TOUTOIちゃんと勝手に呼称します)は、自己認識と他者からの評価とのギャップに悩んでると推察されます。
 
私って尊い?って問いかけるTOUTOIちゃん、アイドルか、神か、俺か俺以外のローランドですね。わかります(?)

角度が変わると色が変わる蝶のように誰しもがいろんな一面を持ってる あの明るい子だって あの大人しい子だって


Personという英単語はpersona(ペルソナ)というラテン語からきている。仮面という意味があり、様々な状況や相手により"仮面を使い分けている"。仮面が人格の本体だから素の顔はなくて、他者がいないと自分はないなんて高校の先生から習ったのが強く印象に残ってます。

三谷幸喜の映画「スオミの話をしよう」では、長澤まさみ演じるスオミの元旦那達がそれぞれスオミについて話していると、全くの別人で食い違ってるけど、これはなぜなのか…っていうストーリーで個人的にはめっちゃ面白かったのでオススメなんですが、人間って多面的なのでいろんな面があるんですよね。

人の性格とかって球体のようなもので、自分が認識してるその人の印象と、他人が思ってるその人の印象が違ったり、今まで自分が認識してた印象とは全く異なる一面が見えたりするんですよね。

まるで3Dカードみたいなもんですよ(暴論)

ドラゴンボールウエハース
GT W3D コレクションカードA面
ドラゴンボールウエハース
GT W3D コレクションカードB面

鏡に映った自分(他者から見た自分)も自分の一つの面であるし、相手の主観を通した相手の中にある"TOUTOIちゃん像"でしかない幻なんですよね。

TV版エヴァンゲリオンの終盤の精神世界に出てきたように、自分から見た"あの人"という他人も、結局自分がイメージする他人像という主観であるとたしかアドラー心理学とかであったと思うんですけど、世界って自分というスクリーンを通して上映されているから
世界=自分なんです。
白取春彦著の『完全版仏教「超」入門』にも以下のことが書いてました。

『法句経』の最初にこういう言葉がある
物事は心にもとづき、心を主とし、心によってつくりだされる。
これは物事の本質が基本的に「空」であることを意味している。
同時に、各人の心のあり方が、その各人に見える物事となっていることをも示唆している。

白取春彦著『完全版 仏教「超」入門』

私は自分が好き でもたまに鼓動乱れる 流行りの可愛い?全部思い込み もう正解はない

先ほど挙げた『法句経』の初めの文やアドラー心理学のように、自分や他者の認識は自分次第。
だから私(TOUTOIちゃん)が誰かにとっての尊い推しであるか、自分の思う理想の自分であるかは自分の認識や考え方次第。

たまに他者からの評価で自分の認識は揺らいでしまうこともあるし、世間の流行と自分はずれてしまっているかもしれない。

でも結局"正解"なんてものはそもそもなくて、自分の気の持ちようなんだから私(TOUTOIちゃん)が"可愛い"と思う存在である限りは"可愛い"。


道重さゆみさんや、おはスタ(1部)時代のあーりんこと佐々木彩夏さんの"私は可愛い"というぶりっ子キャラが私は小学時代理解出来なかったけど、高校時代になって彼女らが"私は可愛い"を続けていることにプロ意識を感じてから、性格上の自己陶酔などというものではなくむしろプロのアイドルとして過剰に演じられた"キャラクター"(persona)ということが分かった。

ukkaのメンバーの葵るりちゃんもまさしく「あじゃとかわいい」をyoutubeで始まったバラエティー番組でも自称しているように、"私は可愛い"、"私は尊い"を体現している。

自分の価値は自分で規定するもの。

曲の終わりに鏡が割れた音がするのは、もしかしたらTOUTOIちゃんがそう気づいて悟ったことで、鏡(他者からの評価)が割れたのかもしれない。


番外編:TOUTOI好き好きポイント

初披露した豊洲PITの時にまずおもったのが、NightTempoっぽい曲調が好きすぎる!!

ブラックミュージック系統が好きなオタクなので、クラブミュージック系嬉しい、、
曲調もダンスや歌い方も全部カッコよすぎる、、

りなちゃんのパートや友ちゃんのパート好き。

もあちゃんの周りをメンバーが囲ってるところも神降臨感あって好き、、


この曲のキャッチコピーが
ーどんな私でも、尊いー
なんだけど、弱い自分も含めて愛する自己肯定ともとれるし、そんな私を崇めよみたいな強さも感じられて好き。

あと「流行りの可愛い?全部思い込み」パートの、時代の流行に迎合しないでこっちが新しい流れを作ってやるみたいな意気込み、カッケェッス、、ukkaらしく売れてほしい、、

終わりに

最近無知なりに新書を読むことにハマってるのだが、その本やukkaワンマンライブ「泡沫・光彩」で感じたことがTOUTOIの歌詞にあって考察風(あくまで風です…)noteを書いてみた。駄文にここまで付き合っていただいてほんとありがとうございます、、

1/31にukka「TOUTOI」のMVが公開されるのでぜひ観てください!!(圧)

そして「TOUTOI」が収録される3rdシングル「T」が予約できてその上本人と交流できたりするリリースイベントもぜひ!!(圧)


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