映画感想文【哀れなるものたち】
2023年 イギリス製作
監督:ヨルゴス・ランティモス
出演:エマ・ストーン、マーク・ラファロ、ウィレム・デフォー
素晴らしい映画を観た。
鑑賞直後興奮の赴くまま先んじてつぶやいたが、今年度のマイベスト映画はもはや決定したかもしれないとまで思う。
昨年末、予告編を観たときから興味はあったが、同時に漂う奇抜さから「最後まであの世界に付き合えるだろうか?」と一抹の不安もまたあった。しかし結果としてそれはまったくの杞憂であり、なんならもう一度観たいとも思っている。
ストーリー、脚本も優れていたが、セリフ一つ一つが実に良かった。あるいはこれは翻訳者(松浦美奈氏)の功績なのかもしれない。しかしとにかく説得力と美しさの双方を兼ね備えた素晴らしいものだった。
主人公・ベラは大人の女性の肉体に、赤ん坊の脳を移植されて生まれた人造人間である。したがって本来大人が持っているであろう常識や思考を持たず、見るもの全てが新しいという子どもの心のまま振る舞う。
非常に魅惑的な女性の肉体で無邪気に、目覚めたばかりの性衝動にすら率直に行動するベラに、周囲の大人たちは翻弄される。
生みの親であるゴドウィン博士や協力者マックスたちもだが、一番の被害者はマーク・ラファロ演じるダンカンだろう。洒落者を気取ってベラと駆け落ちし、弄ぶつもりが逆に魅了されて無一文、骨の髄まで彼女という麻薬に冒される。
自業自得ではあるが、次第にベラの存在に狂わされていく様は醜悪でありながら滑稽であり、まさに”哀れなるもの”であった。
原題は『poor things』、単純に訳せば「貧しいもの」「乏しいもの」だろうか。これに『哀れなるものたち』という日本語を当てはめた人のセンスには畏れいる。
日本人であれば多くは知るであろう「もののあはれ」、あらゆる物事に触れて揺れ動く人の機微、深い情愛という意味合いの言葉をなんらか意識していたのでは、という推測はそれほど突拍子もない空想だとも思えない。
是非ともお話を聞いてみたいものである。
生まれたての赤ん坊であるベラの知性は、目覚めて以降、日進月歩以上のスピードで発達していく。
序盤から中盤までは彼女の脳が肉体に追いつくまで、失敗と再生を繰り返す一番の成長期である。通常の人間で言えば生まれてから学生あたりだろうか。中二病だったり黒歴史だったり、思い返すだけで赤面ものの記憶だったり、また壁にぶち当たったり世界の広さを知って無力を痛感したり。
ベラをただ「おもしれー女」だとしか思っていなかったダンカンに、倍速で進む冒険者の人生は荷が重すぎた。
ベラはストーリーの最初から最後まで、ずっと純粋な冒険者であった。
普通の人間より濃縮された日々を送っていたからだろうか、時に無責任でありながらそれ故に次から次へと飛び出す彼女の言葉は、実に革新的で強烈に魅力的である。
当初は生まれたての彼女を保護者のように見守っていたはずだが、いつの間にかそのしなやかな精神と振る舞いに、憧れのような感情で持って引き込まれていた。
終盤、彼女(の肉体)の真相が明らかにされる。円熟した幸せに対し、恐ろしい真実がベラの両手の天秤にかけられ、ここで彼女は真実を選んだ。
結果としてその選択は彼女により一層隙のない充実をもたらすのだが、その折れない冒険心に思わず天晴と言いたくなる。
ストーリー中盤では生活のために冒険心を沈めることを覚え、弾けるような色彩を失いながらも静かな満足を得たのだろうと思ったのだが、やっぱりベラはベラのまま。むき出しの冒険心は成長し、美しい外見に見合うしなやかさが加わったのだといえるだろう。
本作品の良さはストーリー、脚本の素晴らしさだけに留まらない。
風変わりな音楽と衣装、美術。現実世界が歴史上、ちょっとだけ指標を変えてそのまま進歩したような、不思議でクセになる魅力で満載である。
豊かな彩りは、女版フランケンシュタインとも言われる本作品に実にマッチした世界観だった。サントラ欲しいな。
ラスト、死にゆくゴドウィンに寄り添うベラの表情は、慈愛に満ちた母親のようである。
天才的な頭脳を持ち冷酷に非人道的な実験を繰り返したゴドウィンは、ベラにとって正しく神とも言える存在。そんな存在が、死とはどんなものだろうか、と子どものような好奇心で語る。
それを自分が看取ることで、彼女は更に自分らしく、自由意志で生きていくための充足を得たのだろう。
ベラの力強い眼差しは、過酷な運命に翻弄されながらも最後まで自己を全うした画家フリーダ・カーロを思わせる。
きっと連想した人は自分だけではないはず……。