読書感想文【エンジェルフライト 国際霊柩送還士】
2012年 佐々涼子
つい先日、9月1日に著者は死去されたらしい。
いつもnoteの記事を追っている方がいつにない熱量で追悼文を書かれていたので、気になって図書館で探してみた。
やはり訃報が話題になったためか著作はどれも順番待ちで、『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙 石巻工場』が読みたかったが先に手元に回ってきたのがこちらの本。
『国際霊柩送還士』という字面から、なんとなくその想像はつく。
海外旅行や海外赴任が珍しくもない昨今である。不幸にも海外で事故や事件に巻き込まれ亡くなることも、そう珍しい話ではない。
海外で大きな災害や事件があった際、「この事件での日本人の死傷者は報告されていません」という報道の文言もよく聞く。
それを詰った歌の歌詞を覚えているが、あれはそう伝えることで、ただでさえ混乱している現地領事館に関係者たちの連絡が殺到し二次災害を招くことを防ぐ為らしい。真っ先に歌詞に納得してしまった自分は、つくづく多面的な視点に欠けている。
閑話休題。
本作は、なんとなく想像する「海外で客死したら、どんな風に遺族の元へ帰ってくるのか」を追った作品である。
海外旅行に行くとき、大抵の人は加入する海外旅行保険。そこには当然『死亡した時』のことも記載されている。想像する機会は与えられる。が、それでも客死についてそれ以上具体的に予想することは難しい。保険料が勿体ないな、と思うだけの人もいるだろう。
自分も含め、「客死」を想像できない人は是非とも読むと良い。
ノンフィクションと言えど脚色が一つもないとは思っていない。
そもそも著者の目を通した「事実」である。感情が反映されないわけはないし、同時にそんな無機質な文章は読みづらい。
そういう意味では、本作は割と感情的な部類だろう。
たとえ穏やかな老衰であろうと、いずれの死も生あっての死である。客死ともなれば一層様々な背景があって、読みながら何度も涙ぐんでしまった。
TVだろうが取材記事だろうが、死という題材を取り扱うことに身構える人は多い。
特に日本においてその風潮が強い気がするのは、第二次世界大戦での壮絶な記憶のせいだろうか。戦争を法律で禁じ、経済と医療が発達し、平均寿命が延び、日本人の多くにとって死は縁遠いものになった。
我が身においても、日常から対極にあるものと言っても良いだろう。祖父母や他の近しい人のお葬式の記憶もないではないがずっと昔のことで朧げだし、多くは病院という非日常の空間が間に存在しており、身近とは言い難い。
今の日本は死に対する恐れから死そのものを遠ざけ、それ故に一層正体不明のものとして死を恐れるようになった。負のスパイラルである。
その反動でか、やたら死が崇高であたかも格好の良いもののように描かれたりすることもある。この本でも少し、そういうところは感じた。
表紙からしてドラマチックだ。
信念と使命を持った国際霊柩送還士たち!
プロジェクトXも斯くや。戦隊モノのオープニングにも似ている。
確かに、信念がなければ出来ない仕事だとは分かった。
とても大変。だが必要不可欠。そして今後もっと需要が増える仕事だろう。そして同時に活躍する場がなければないほど良いという、ジレンマを抱えた過酷な職である。もっと世間に知られているべきとも思う。
しかし彼らの実態を正しく記事にすれば、同時に悲壮な死を衆目にさらすことにもなる。
どれほど丁寧に言葉を重ねても、死を忌避する気持ちを刺激する。むしろ彼らの仕事の困難さを書けば書くほど、必要以上に持ち上げているようにも捉えられかねない。そして遺族には再度の悲しみを与えることになる。
著者自身も取材を進めるうちに躊躇い、自問する。
それでもなんとか、一冊の本を書き上げてくれて良かったなと思う。
著者や取材対象たち、遺族たちの死に対する姿勢が正しいものかどうかは、さほど重要ではない。
何故ならそこに、確固たる正解はないからだろう。
現代の日本人はあまり宗教に熱心ではない。一部には破滅するほどにのめり込む人もいるにはいるが、全体としてはそう言える。
だからなお一層、死から遠ざかる。死を考える機会を失っている。
しかしどうあっても、逃れられるものではない。
逃げられないのなら、考えたほうが良い。考えなければ理解できない。理解できなければ死は怖いままだ。
一生かけても理解できる可能性は低いが、いたずらに恐れ逃げ続けるよりずっと建設的だと思う。
ノンフィクションの類はほとんど読まないで来たが、去年宗旨替えした。
知らない世界を知って、考える機会を与えてもらえるのは幸運である。
教えてくれた著者はもうこの世にはいない。
それを思うと確かに惜しい。早すぎる死に追悼の意を表する。