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【観劇・感想】ハイバイ20周年『て』 初日(12/19)
「て」は久々に全員が集まる、家族の話だ。家族はそれぞれに大切にしたいことを持っているが、それがぶつかりあった時に、言動の根源にある感覚を家族間で共有しない・できない様子をみて辛く感じた。父親が暴力・威圧で家族を動かしていた影響からか、大声を出したり行動を押し付けたり、言葉を受け取らず流したり感情に蓋をしたりなど、関係性に上下を感じるやり取りが何度も繰り返されているように思う。
きっと無意識にそうすることが、家庭内で自分を守る唯一の方法だったのではないか。相手より強い圧・力で相手をコントロールするか、心を殺して相手にコントロールされることを受け入れるか。対等な関係性を目指したり、自分を大切にした上で相手のことを尊重しようとすると、もっと強い力で抑えつけられるのだという恐れが、家族ひとりひとりの内側に刻み込まれているのではと感じた。
その構造でのコミュニケーションを積み上げてきた歴史があるから、家族の関係性は最悪だ。ギリギリのバランスで保っていられる時間はわずか、家族の誰か1人が防衛のために威圧感を出すと、それに反応して別の家族がまた防衛の威圧感を出す。そんな連鎖が何度も起きるから、家族がぐちゃぐちゃになってしまうのかなと思った。けれど、どれだけ怒鳴って泣いてぐちゃぐちゃになっても家族。家族という絆や家族なんだからという執着が、ぐちゃぐちゃになったものをよりしばりつけてしまうから、家族同士がめちゃくちゃにこんがらがって苦しい。
私自身がこの演劇をみて自身の家族を思い出すのは、似ているエピソードがあるからというより、家族間でのコミュニケーションの型にリンクするものを感じるからだ。
家族みんなで過去を無かったことにはできないし、したくないから、多分もう再構築なんてうまくいかない。そうわかるはずなのに捨てきれない家族への理想が、母親のみるカラオケの幻想から伝わってきた。
その幻想に苦しさを感じると同時に共感し、私自身の幻想も心の奥底から浮かび上がってきた。私は私自身のこれを、どう扱っていけばいいのだろうか。
せめて自分に、自分が大切に想いたい人たちに、まっすぐ向き合おうとする姿勢だけは忘れてはいけないなと、考えながら家に帰った。