何とかならない時代を何とかするーー『何とかならない時代の幸福論』と『時代の反逆者たち』

ブレイディみかこ&鴻上尚史『何とかならない時代の幸福論』(朝日新聞出版)

二人の対談本。ブレイディみかこのイギリスの文化・階級の話は、知らないことばかりで勉強になる。ブレイディは低所得者も多い地域で保育士をやっていた経験もあり、多様な人(人種、階級、宗教)がいりまじる生活空間で、どうしたら公共性が作れるのか? と問う。これに対し、鴻上は日本を観察して見えてきた「世間」と「社会」の対比をもちだす。鴻上の定義では、世間とは知ったもの同士の集団、社会とは知らないもの同士の集団。日本は、世間的な包摂はあるが、社会的な包摂は弱い。ひとたび集団の輪に入れれば手厚いサポートがあっても、そもそも集団に入るのが難しい。特に、同質性・均質性を暗に求められている場合。実体は、ますまつ多様で複雑化していく社会で、均質なものがお互いの均質性を確認しあいながら、小さくまとまっていくイメージ。

鴻上は劇作家だけあって、身体の動かし方について深く考えている。ここまで学校の理不尽な校則(いわゆるブラック校則やルール)の問題を指摘するのも、日常のさまざまな場面で身体の動きを管理することで、その人の思考や態度まで制限できてしまうことを熟知しているからだろう。「そんなささいなことに目くじら立てなくても」と思ってはいけない。「そんなささいなこと」ではないのだ。日本はすでに「均質」ではなくなっているのだが、その幻想のうえにいつまでいられるのか。

ブレイディみかこは反緊縮を唱えるが、果たしてそれが答えなのか? 均質さではなく多様性を肯定することでクリエイティビティにつながるというのもわかるのだが、そのクリエイティビティとは何か? 私は、個人の属性の抑圧には反対するが、かといってテクノリバータリアン的なクリエイティビティはいらないのでは…ないだろうか…?

青木理『時代の反逆者たち』(河出書房新書)

青木理がスタジオジブリの月刊誌『熱風』でしたインタビューをまとめたもの。タレント、作家、学者、キャスター、弁護士、記者などさまざま。2024年に出た本なので、コロナ禍前後のホットな政治・社会的トピックを確認できる。青木が「というと?」で促したり、「あえて質問すると」と言って想定される反論をさしはさむことで、インタビュイーがどんどんしゃべれる仕組みになっている。入管、ロシアプーチン政権のしめつけ、戦死者の遺骨回収、日韓の補償など、勉強になる話が多い。鴻上の視点とつなげれば、「日本が均質であろうとする絶望的な試み」がそこかしこに見られる。日本だけではないのは、ロシアや韓国(ユン政権)も同様か。

斎藤幸平は『人新世の資本論』だしたあとのインタビュー。斎藤は反・反緊縮。反緊縮しても、経済拡大志向があるかぎり、地球の搾取は終わらない、という立場。

昨日のポリタスTVで津田大介が「社会でゼロサムの発想が強くなるとポピュリズムが台頭する」という論文を紹介していた。資源(資産)は有限であり、これ以上増えないとすると、今いる人々で資源の奪い合いが起こり、あっちからこっちに資源をもってくると主張する人に魅かれる。日本の場合は高齢者、アメリカの場合は移民。その資源を「こっち」にもってくる、というと社会の分断と引き換えにポピュリズムの人気は高まる。

ブレイディににならえば「資源を増やすような政策を!」となる。そうすれば奪い合いは減り、分け合う余裕がでてくる。しかし斎藤にならえば「地球の資源は有限である」となる。つまり、SDGsの発想とポピュリスト的な発想は表裏一体ではなかろうか。「大切な地球を守ろう!」といえば言うほど、「少ない資源を自分(たち)によこせ!」となってしまうのではないか。この2冊の本を『幸福論』、『反逆者』の順番で読んだのだが、経済をデカくすればいいのかデカくしてはいけないのか、わからなくなったのが正直なところだ。 


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