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「議論の前提」となる情報の共有はできているか?

先週、「読みを深める子ども」をテーマとした国語の研究会(民間の教育サークル)に参加した。

授業ビデオ(45分)を視聴し、授業者の振り返りをもとに、テーマについて議論する授業研究会である。                                 授業者は教職経験5年目の先生であった。

授業ビデオ視聴後、参加者から様々な意見等が出された。

「子どもの実態から、本時の目標の設定をしなければならない。」
「視点をもって机間指導を行い、子どもたちのつぶやきを拾うことが必要である。」
「教師指導になっているので、子どもたちの問いを表出させるしかけをつくることが大切である。」

出された意見等の多くは、もっともなことであり、代案も出され、具体的で分かりやすかった。

しかし、疑問も残る。
この研究会のテーマは「読みを深める子ども」であるが、テーマを意識した意見等はほとんど出なかったのだ。

授業論に終始してしまい、教科論(ここでいうテーマ)を深めることができないまま、研究会は終わってしまった。

どうして、テーマについての議論ができなかったのか。
要因を考えてみる。

一番の要因は、「議論の前提となる情報等」が共有されていない、共通理解されていなかったことであると考える。

ビデオ視聴の前に、授業者に以下のことを説明してもらう必要があったのではないか。

〇どのようにテーマをとらえたのか                                             〇テーマについての子どもたちの実態はどうであるのか                                     〇テーマを踏まえて授業づくりをどのように行ったのか                                     〇本授業でどのような子どもの姿をゴールとしたのか                    〇そのためにどのような手立てをとったのか                           

これらの情報が共有され、理解された後、授業ビデオを視聴する。すると、のちの議論がテーマにそったものになると考える。

ここ1ヶ月、5つの授業研究会に参加させてもらったが、どの研究会も同じような傾向が見られた。

議論の前提となる情報の共有・理解。

当たり前のことかもしれないが、時には見直してみる必要がありそうである。


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