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スターシードが“未熟な魂は愛のない家庭に生まれ育つ”に思うこと
最近note不調(?)になっていたのですが、どうしても書きたいことがあったので今回はそれを書きます。
ちょっと鼻息が荒くなっておりますが、最後までお付き合い頂ければ幸いです🙏
私はつい最近、YouTube動画にてとあるスピリチュアル系YouTuberの方の投稿を見ていたのですが、そこで、
“徳を積んだ魂は現世で愛にあふれた家庭に生まれ幸せに暮らしている”
“しかし、ほとんどの魂は未熟で修業が必要なので愛のない家庭に生まれ育つ”
と言っていて、なんだか心にザラッとしたものを感じてしまいました。
その方はさらに、
“エゴは捨てましょう”
“肉体的な欲求は無駄で意味のないものです”
“無条件の愛を持ちましょう”
というようなことも語っていました。
私としては、
う、うん?(・_・;)
そうとも言えるけど、なにかそうとも言い切れない、なんとも言えない違和感が…。
そんな調子でずっとモヤモヤしっぱなしだったのですが、そのモヤモヤの正体を紐解いてみることにしました。
偶然か必然か、その直前にハイヤーセルフとこんなやりとりをしていました。
まずはそのやりとりをご紹介。
なんで普通の人生じゃないの?
なんで嫌なことばかり起きるの?
なんで答えの出ない質問ばかりぶつけられるの?
なんでいっつも届かないことばっかなの?
という、私の問いに対して。
「それはすべてあなたが望んできたこと
魂の成長を一番に望んで生まれてきたから
魂を磨くことを最も優先させると決めてきたから」
「けどこんなしんどいの聞いてない」
「それもあなた次第。定義するのはいつだってあなた」
「それにしたって限度ってもんがある」
「それは、あなたの中に芽吹いた豊かさに目を向けていないから」
「私そんな聖人になれない」
「ならなくていい」
「どうしていつも私を孤独にするの?一人にするの?」
「孤独を体感しないと、ワンネスにはたどり着けない」
「どういうこと?」
「孤独とワンネスはセット。どちらが欠けても成立しえないものだから」
「孤独を経験することで、私に何を学ばせようとしてるの?ワンネスにたどり着く意味は?」
「あなたは一人ではないということ」
「でも、今私が経験していることは特殊すぎて、きっと人からは理解されない」
「人から理解されることが、あなたの真の目的ですか?」
「わかりません。」
「あなたはどんな状態になったら、心から満たされますか?」
「それは、自分でいることに心底安心し、満足することです」
「それならば、あなたに今起こっていることは、何ら間違いではありません。あなたが今経験している痛みや苦しみは、あなたを強くしやがてあなたを護ってくれるようになります。
すべては投影です。
あなた次第で、現実はいかようにも変わることを忘れないで下さい。」
以上のハイヤーセルフとの会話を踏まえた上で、今回の違和感について考えてみます。
はい、まずは、肉体に関して。
“エゴは捨てましょう”
“肉体的な欲求は無駄で意味のないものです”
“無条件の愛を持ちましょう”
と、肉体の存在を否定し悪者にするということは、私たちの“今在る状態”を否定してしまっていることになります。
つまり、自分自身の存在ですら否定してしまっています。
私たちの命は、肉体に魂が宿ることで生じます。
そして、それはどちらも尊いものであり、どちらが欠けても私たちは成立し得ません。
大事なのは、肉体を否定するのではなく、肉体によって生じるすべての生きづらさを引き受けた上で、そのままの自分で豊かになることを選択することなのです。
エゴや肉体的な欲求を一方的に切り捨てても、悩みや問題は解決しません。
エゴや肉体的な欲求は悪者ではありません。必ず私たちの内なる純粋な欲求と結びついています。
それをまるごとひっくるめて認め受け入れていくこと。そのプロセスを通して得られる痛みや苦しみを含めた感情を経験することこそが、私たちが肉体を持って地球に生まれてきた目的なのです。
また、人間、無条件の愛なんて簡単に持てません。持てなくていいんです。
無理に持つ必要はありません。
大事なのは、まずは自分を無条件で愛すること。
そうすれば、自ずとすべてうまくいきます。
無条件の愛を持てない自分はダメな存在だと思うことは、本末転倒以外の何ものでもありません。
人が生まれてきた目的は、簡単に言ってしまうと、ありのままの自分を受容すること、自分は無限の可能性を秘めていることを思い出すこと。ただそれだけなのです。
誰かから、ああしなさいこうしなさいと指図されたとしても、それを自分の中に無理に落とし込む必要はないのです。
なぜなら、私たちは生まれながらに完璧な存在だからです。
そして、一番私が違和感を持った部分。それが、
“ほとんどの魂は未熟で修業が必要なので愛のない家庭に生まれ育つ”
という言葉です。
この言葉がなぜモヤモヤするかというと、確かに一理あると言えるからです。
未熟な魂は修業のために愛のない家庭を選んで生まれてくる。
しかし見落としていけないのは、魂を磨こうと決めて生まれてきただけであって、未熟な魂は愛のない家庭に生まれ育って当然ということではないのです。
今回その動画を引用しませんが、そのYouTuberさんはあたかも未熟な魂が悪いから嫌な目に合う、といったような語り口でした。
しかし、私は納得がいきませんでした。
それはつまり、“未熟な魂なのだから苦労して当然だ”ともとらえられます。
しかし、それでは宇宙の法則に反しています。
バシャールは再三、宇宙は“完璧な存在”としてあなたを創造したし、だからこそ常にあなたをサポートする体制でいられる、と語っています。
つまり、繰り返しになりますが、今この地球上に存在しているという時点で、私たちはすでに完璧な存在なのです。
私たち一人ひとり残らず、どんな状況に置かれているにせよ、宇宙から無限の愛情を注がれている、愛おしいと思われている存在なのです。
“私たちの魂は未熟で修業が必要なので、愛のない家庭に生まれ育つ”、のではありません。
私たちは、今生で自分に厳しい環境を自ら選んで生まれてきたのです。
そのつらく苦しい経験を通して、魂をめいっぱい成長させようと決めてきたのです。
それは、とても高貴で勇敢な魂なのです。
それを、“未熟で修業が必要な魂”、と片づけてはいけないのです。
苦しい思いをすればするほど、愛と光の世界に戻る足取りは力強く、また確かなものとなります。
ときにエゴに惑わされ、肉体由来の欲求に翻弄されることもあるでしょう。
しかし、それは私たちが未熟で粗野なのではなく、そういった経験を通して魂を成長させようと意図して生まれてきたにすぎないのです。
すべては愛です。
それに気づくか気づかないか、魂の状態では経験できないその重くて鈍いプロセスを肉体を持って経験するために、私たちは生まれてきたのです。
すべて許すということ。
すべて委ねるということ。
すべて愛するということ。
自罰的な発想はいりません。罪や罰などの概念は、本来は存在しないからです。
繰り返しになりますが、私たちは未熟で修業が必要な魂なのではなく、高貴で勇敢な魂なのです。
今生でめいっぱい経験できることをして愛と光の世界に戻ろうと決めて生まれてきた、とても純粋で崇高で向上心が高い魂なのです。
最後に、私の好きな荘子の言葉を載せておきます。
魂レベルで惹かれたので、これは宇宙の神髄なのだと思います。
それ大塊われを載するに形をもってし、われを労するに生をもってし、われを佚するに老をもってし、われを憩わするに死をもってす。
意味は、
“天は我々を誕生させるために肉体を与え、骨を折らせるために人生という道のりを歩かせ、のんびりさせるために年を取らせ、体と心を休めるために死を迎えさせる。”
これは私なりの解釈ですが、この言葉が人生の本質を表す言葉として一番しっくりきます。
特に、“死”が“憩い”になるという部分に、人智を超えた深い愛を感じます。
今回私というよりハイヤーセルフが熱く語っている感じでしたが、宇宙から第2チャクラを開発された女として、言いたいことが言えて(癒えて)スッキリしました😊✨
あなたに癒しと愛のエネルギーが届きますように🍀
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