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12年経ってようやく子を失った親の悲しみがわかった話
姉が亡くなって12年経ちました。
これまでに何度か、自死遺族として記事を書いてきました。
そして最近、タイトルの通り12年経って気づいたことがあったので、今回はそれを書きます。
ちょっと長くなってしまいますが、どうぞ無理のない範囲でお付き合いください。
さて、本題に入る前に、私は最近母親にひどくショックなことを言われ、体調を崩すまでになってしまいました。
以前から、私は母のことを発達グレーだと感じていて、これまでにも記事に書いてきました。
そんな中で、最近AIについて学ぼうと本を借りたのですが、そこで“AIの苦手なこと”という項目で、
曖昧な答えを出す
根拠のないことを答える
とあり、
これ、うちの母親じゃん
と衝撃を受けたことがありました。
私の母はいわゆる「空気を読む」ことが苦手で、言われたことを額面通りにしか受け取れず、
思ってもいないことは、たとえそれが相手を喜ばすことだとしても言うことはありません。
また、何かを伝えるときは数字を用いないと理解できないデジタル脳な人で、
“ノリ”や“雰囲気”や“なんとなく”といった、文脈の中の曖昧な意味を読み取ることが苦手です。
そのため母はよく、私たちが言ったことに対して「意味がわからない」と言います。
発達に問題を抱えた人たちは、『心の理論』と呼ばれる他者の心理を思いやったり推察することが苦手と言われています。
まさしく私の母親も、そのタイプに当てはまると感じています。
(↑毒親と発達障害の関係については、こちらの本がとても参考になりました)
ここで、親子なのにそんなに性質が違うの?と思われてしまいそうなのですが、
ゴリゴリの理系でデジタル脳な母に対して、私は父のクローンかと思うほど外見から内面まで父の遺伝子を受け継いでいて(文系のアナログ脳)
鈍感すぎる母親と繊細すぎる娘ということで、かなり凸凹な親子関係となっています。
そんな中で、つい最近母親にかなりショックなことを言われました。
語尾にwをつけてへらへらしながら急所を巧みにぶっさしてくるその発言と態度に、
うちの母親はサイコパスなのかもしれない
と、その時は本気で思いました。
母親の一言であぶりだされたのは、姉を自死で失ったことで向き合いきれていなかったさまざまな感情でした。
その一言がきっかけとなってさまざまな感情が噴出し、自分で自分の感情に圧倒されてしまいました。
“この人は頭がおかしい。ほんとうに私の母親だろうか。”
そんな悲しさもこみ上げ、打ちのめされていました。
そんな私でしたが、最近何度かアセンションを経験しエンパス体質が強まったからか、
ふと母の心情とシンクロすることがありました。
親にとって一番の悲しみは何か。
それは、子どもに先立たれることです。
ましてや、子どもが自ら死を選んだとしたら、どんなに悲しくつらいことか。
はっきり言ってしまえば、絶望です。
私は母親のことをサイコパスだと思っていましたが、母の心情とシンクロしたとたん、
母親が抱えてきた悲しみが押し寄せ、涙がボロボロ出てきて止められなくなってしまいました。
悲しい。苦しい。つらい。
親にとって最大の悲しみは、子どもに拒絶されることです。
親として子どもを愛したい、愛している、その愛がうまく伝えられず、子どもから拒絶されてしまうことです。
子どもを愛そうとした結果子どもが自ら死を選んだならなおさら、絶望的な気分になります。
母は姉に一番最悪な形で拒絶され、深く傷ついていました。
それと同時に、もうどうしたらいいのかわからないといった、混乱したような感情もありました。
姉の死を知らされ姉の家に駆け付けたとき、第一発見者だった母は
なんで…。どうして…。
と困り果てた表情でつぶやいていました。
そのあまりの憔悴っぷりに、私は母が姉の後を追ってしまうのではないかと不安になったほどでした。
私は長い間、母親を毒親だと思ってきました。
ひきこもっていたとき、泣きながらモラハラだった父に抗議したことがあります。
父は私の反抗にうろたえながらも、謝罪をしてくれました。
そのとき鬱を患っていた姉を少しでも救いたくて、姉に報告をしました。
しかし姉は、「問題なのは父親ではなく母親の方だ」と吐き捨て、私は打ちのめされてしまいました。
その後姉が自殺したことで、姉が亡くなったのは母親のせいだと感じるようになり、心のどこかで母のことをいつも責めていました。
母のことを責めることで、姉を救えなかった無念を晴らそうとしていたようにも思います。
母を責めることが、私にとって姉に対する罪滅ぼしであり、ある種の“救い”にもなっていたのです。
ただ、母は母で深い悲しみを抱えていました。
姉にとって、私たちにとって、母は毒親だったかもしれない。
けれどそれは母の特性から来ていただけで、私たちに対して愛情がなかったわけではない。
この事実ににたどり着くのに、かなりの時間がかかってしまいました。
母にショックな一言を言われましたが、おかげで自分が今までいろいろと過剰に背負っていたことに気づかされました。
姉を救えなかったこと。
それと同時に、母に対して恨みの気持ちを持っていたこと。
そのすべてを手放す必要があるということ。
この12年、自分の苦しみにしか目を向けられませんでしたが、12年経って初めて母の悲しみに触れ、改めていろいろと考えさせられました。
時間は解決してくれません。
放置していた悲しみや苦しみやつらさは、どれだけ時間が経ってもそのままです。
だからこそ、きちんと向き合ってあげる必要があります。
すべてを許すということ。
姉を救えなかった自分も、その一方で心のどこかで鬱を患っていた姉のことをうとましく思っていた自分も、
姉が母に対して不満があったことも、姉の自死によって母親を恨んでいた自分も、すべて許すということ。
怒り、悲しみ、苦しみ、つらさ、憤り、絶望、そのどれもが、尊い存在です。
それをなかったことにするのではなく、すべて受け止め、その存在を許してあげる必要があります。
何度も書きますが、時間は解決してくれません。
もしここまで読んでいただいた方で何か感じるところがあったら、どうかどんな自分も許してあげてください。
すぐには無理でも、どんな自分も認め、少しずつ自分を癒していってあげてください。
その上で、もう誰かや自分を責めることをやめて、すべての苦しみから解放されることを許してあげてください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました🕊
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