学校の当たり前は「愛」ではなかった…
今、時代の過渡期にあることが
なんとなく感じられる方も多いのではないでしょうか?
世の中のニュースなどをみても
今までとは違ってきていると思います。
ということを
ずっと探求していて
こちらの記事では
①私が考える愛の世界観
と
②保護者が作る「愛の考え方を基にした学校」
についてシェアさせていただきました。
さて
工藤勇一先生をご存知の方でしょうか?
数年前にでたこちらの本を
読まれた方も多いと思います。
私は最近図書館でこの本に出会って
知ったのですが
ことと
と思ったことを
こちらの本から
シェアしたいと思います。
①自ら考え、判断、決定、行動できる人を育てる
工藤先生が考える「教育の原点」とは
だそうです。
今は全てにおいて
指示に従うことが多いと思います。
学校でも先生から指示が下りてきますし
会社でも上司から指示が下りてきますから
その指示が気に入らなかったり
うまくいかないと
その指示に対して
不満や文句を言うことが多いですよね。
ですが
愛の考え方は「平等」
ですから
どちらが上で、どちらが下という概念がありません。
愛、みんなが平等であるということは
支配もない
すなわち指示もない世界になります。
つまり
自ら考え、自ら判断し、自ら決定、自ら行動する
必要があります。(自律)
さて
工藤先生は
学校の改革の取り組みにおいて
子どもに自立させるだけではなく
先生方も自律できるような取り組みをされていたようです。
という取り組みをした結果
教員の「自律力」も高まったのだそうです。
愛の組織へ変化していったのだと思います。
(愛の組織についてこちらの記事も参考にされてみてください。)
②対立との向き合いかた
だと考えておられるそうです。
を生徒たちにも伝えていて
がこれからの時代を生きる生徒たちに
教えていかなければならないことだと
考えておられるそうです。
喧嘩や対立が起きた時に
担任が仲裁に入り仲直りさせて育っていった子どもたちは
「自律」できないまま大人になり
大人になってからも
壁にぶつかったときに誰かのせいにしてしまうのだそうです。
だから対立した時には
対話することを教えていく必要があるのですね。
(私たちは対話の仕方を習ってきませんでしたね…
だから大人も学ぶ必要があると思います。)
ここからは私の考えになるのですが
「愛」という一言には
たくさんの意味が内包されていて
その中のひとつに
愛は個性だと考えているのですが
それぞれの個性が違うのは当たり前なので
対立も当たり前だということになります。
個性が違うのが悪いことでなければ
対立もなんら悪いことではない
ということだと思いますし
対話をするというのは
自分の個性(考え方)
と
相手の個性(考え方)
を話し合うことで理解し
合意に達すること
だと思うのです。
個性はそれぞれパズルのピースのようであり
その違う個性同士(パズルのピース同士)が
ピッタリと同じ形になることはないわけで
形の違うもの同士が
隣り合わせになる時には
相手の形を無理やり変えるのではなく
対話をして
お互いがうまく組み合わさるような
プロセスが必要になるんじゃないかな?
と思います。
この本の中には
具体的な
対話の方法は触れていませんでしたが
過去記事で
対話の方法も扱っていますので
よければ読まれてみてください。
③学校の当たり前は「愛」ではなかった
☆教育問題は専門家に作られていた
子どもの「問題行動」について
「小1プロブレム」などの言葉は
「小1はこうあるべきだ」と専門家が一定の理想を掲げ
その理想から外れた子どもたちに対して使っている言葉であり
「不登校」にしても
「学校に行くのが当たり前」という価値観があるから
「問題」に捉えられているのであって
学校教育では
大人たちが「問題」だと捉えるからこそ
「問題」になるのであり
「問題」だと言わなければ
それは問題にならない
と書かれています。
愛の考え方は
「良い、悪い」の判断がない
オールOKの考え方ですから
これから来る愛の時代では
教育問題がない世界になる
つまり
不登校や小1プロブレムの概念もなくなる
ということは
理解しておきたいところだと思います。
☆みんな仲良く、団結はできない
幼稚園、保育園、そして小学校では
心の教育として
「みんな仲良くしなさい」と言われますが
コミュニケーションが苦手な子もいて
結果としてその子どもが排除されることにもなり得ます。
ことのほうが大切だと
考えておられるそうです。
人はみんな違い、仲良くできないから
対話を重ねて
合意に達する訓練をすることが大切なのだと思います。
☆多数決は民主主義か?
物事を決定するときに
当たり前に多数決で決めることが多いですね。
本の中でも触れられていましたが
こちらのtwitterのツイートをシェアさせていただきます。
多数決で切り捨てられる意見がある
というのは
愛の考え方ではないと考えています。
それでは
平等にならないからです。
多数決は
合理的だとは思いますが
時間がかかっても
一つずつ合意のプロセスを経ていくのが
これからの社会のあり方になっていくと思います。
☆誰のための教育?〜学習指導要領
学校のカリキュラムを定めているのは
国が定める
「学習指導要領」であり
あくまでも教育課程の大綱的な基準でしかないのですが
ようです。
これは本来
「学習指導要領」は補助的役割
であるのに
子どものための教育ではなくて
教科書をこなすことが
先生方の目的になってしまっている
ということなのだろうと思います。
と書かれていました。
先生の意識が
先生自身の評価のためではなく
(教科書通りに進めたという評価)
相手のため、子どもたちのため、という愛の意識になっていくと
いいですよね。
相手を思いやるのは
愛の基本的な考え方だと思います。
④まとめ
この本では
の中で
学校の当たり前である
宿題や定期テストの廃止
クラス担任制度も廃止するなど
画期的なチャレンジの数々が書かれています。
そもそも
なぜがんじがらめの教育制度なのかというと
今の日本の学校組織は
明治維新の時に西洋から入ってきた
学校教育制度で
その西洋の学校教育制度は
中世ヨーロッパで起こった組織形態であり
上位下達型の
上からの指示に従う組織形態だから
(警察、行政、軍隊などの組織形態と同じ)
と言えると思います。
詳しくはこちらの記事を読まれてみてください。
また
そもそも今の教育は
支配者たちにコントロールされていることも
理解しておくことが必要になると思います。
私の個人的な意見になりますが
今の教育制度は
これからの愛の地球のあり方とはかけ離れているので
(上位下達、自律していない、指示に従う)
いずれ
今の教育制度は崩れていくと思います。
これから社会全体が
新しい時代へ向けて崩壊・再生していくと言われています。
(既に崩壊の兆しは見えてきていますね。)
崩壊して再生するまでの間
何もない状態の時
子どもたち、保護者、学校はどうなるのでしょうか?
一歩先の視点で
考えることが大切だと思っています。
詳しくはこちらをご覧ください。
今の学校制度が機能しなくなった時に
参考にできる
「保護者が作る学校」というアイディアについて
こちらに書きましたので
よければ読まれてみてください。
保護者が学校を作ろうと思ったときに
今回シェアさせていただいた
工藤先生の愛の考え方は
新しい時代にフィットするのではないかと
考えています。
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