
「万延元年のフットボール」(大江健三郎・著)を読んだ感想。【ネタバレ】
「万延元年のフットボール」の印象は、「古く、そして新しい」です。
四国の山奥で、デヴィッド・フィンチャー的世界が繰り広げられます。
大江健三郎氏は、1994年ノーベル文学賞賞を受賞しています。
繰り返される神話的世界
この作品のモチーフになっているのは、万延元年(1860年)に起こった一揆です。
明治元年が1868年ですから、江戸時代末期に起こった一揆です。
舞台は明らかにされていませんが大江氏が生まれた愛媛県喜多郡内子町でしょう。
100年後、日本では安保闘争が起こります。
また四国の寒村で、スーパーマーケットの経営者に対して若者たちが略奪を行います。
「万延元年のフットボール」は、人は変わっても同じ事が繰り返される神話的な構造となっています。
繰り返し描写される強烈なイメージ
・朱色の塗料で頭と顔を塗りつぶし、素裸で肛門にキュウリをさしこみ、縊死(いし)したのである。
・裸の足の裏がふたつ、鷹の尻の両側に、おとなしく直角に立っているのを見た
朱色の件(くだり)は、友人が突然自殺した事を回想するとき何度も出て来ます。
強烈なイメージを読者に与えます。
縊死(いし)とは、首をくくって死ぬことです。
裸の足の裏の部分は、妻が主人公の実弟である鷹四と姦通するシーンです。
構造だけを描いても小説としては成立しません。
後期のスターウォーズみたいな作品みたいになってしまいます。
そこで「実存」(一人の人間)が動いていきます。
この作品は蜜三郎、菜採子、鷹四の三角関係という一面もあります。
となるとナラティヴストラクチャーを構造として組み込まれています。
この微妙な緊張感が物語の終盤まで続きます。
実際に読んでみると、350ページあたりから物語が一気に動いていきます。
「万延元年のフットボール」は映画化されているのか?
映画化は現在までされていません。
まぁ映画にしにくい内容ですよね。
もし映画化される事があれば、主人公の妻である菜採子役は、ぜひ小松菜奈さんにやって欲しいです。
まとめ
このレベルの作品を翻訳なしで読める私たち日本人は幸せなのかもしれません。
「万延元年のフットボール」は1967年に出版された作品ですが、現代の日本人はまだ、この世界観に追いついていないのかもしれません。
現在であれば自分が生まれ、その後過疎化してしまった山奥の村に戻り、そこで何かが起こるという設定は有りだと思います。
最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。