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小説:おとうとをさがしに③

 気が付くと見覚えのない廊下のような場所にいた。床、壁、天井、すべてが真白だ。明るいが光源は見当たらない。僕はとりあえず出口を探すために歩き出したが、体がうまく動かない。体を動かす意志と体自体の接続がうまくいっていないみたいに、自分が思うように前に進んでいかない。 
 廊下は大きく左にカーブしている。先に何があるのかここからだと見えない。ズボンのポケットに手を突っ込み、余裕があるふりをした。なにも恐れていない、こんなことはなんでもないことなんだと口には出さず繰り返し唱えた。
 廊下の突き当りに扉がある。僕はそれを開けなくてはいけない。そのことを直感が教えていた。僕は扉をゆっくり開けてわずかに開いた隙間から中を観察した。ベッドの隅に一人の老人が腰をおろしている。害はなさそうだ。僕は一度扉を閉めて義務的にノックをした。室内から反応はない。僕は小声で「失礼します」と言いながら扉をもう一度開けた。老人は僕を見ることなく、ただ座って床を見ている。いや、ただ目を開けているだけで何も見てはいないようだ。老人は脱力しているというより、もうずいぶん前に力というものを失ってしまったように見えた。
 「すみません。出口を探しているのですが、行き方をおしえていただけませんか?」
 老人から返事はない。多分外部の音を受け取ることができなくなっているのだ。僕は諦めて椅子を探したが椅子はなかった。仕方なく老人のベッドの端に腰を下した。
 ここから出られないのならそれはそれでいい。いろんなしがらみを放り出して、俺は今までの世界から退出するのだ。そう言えば最近楽しいと思ったことってあったか?いや、ないな。仕事は七年続けているが、苦痛でしかない。弟がうらやましかった。多分あいつは人生に希望を持てなかったのだ。だから生きるのをやめたのだ。自殺ではない。散歩しているとき、ふといつもとちがう道を選ぶみたいにあいつは死を選んだんだ。ただそっちに向かって歩いて行っただけだ。
 「ねえ、あなたはまだ生きたいですか?」
 相変わらず老人からの反応はない。
 「僕は死にたいですね。ようやく気づいたんですよ、弟が死んでから。あ、僕も死にたいんだって。僕は何も好きなものがないんですよ。なにかに熱中するってことができないんです。どうしても欲しいものもありません。それから、僕のことを好きな人間もいません。僕といるとみんな居心地が悪そうなんです。だから僕はできるだけひとりでいます。僕は僕なりに親切な人間でありたいと思っていますから。
 人生っていうのはこんなにも手ごたえのないものなんですかね?僕はこの丸太をたたき続けろと言われて今まで棍棒を振り回してきましたけど、そこには丸太なんてものをないんですよ。僕の棍棒はいつまでも空を切っているだけです。そうしていると一応僕は認められるんです。お前はよくやっているって。でも僕は僕のことが嫌いです。僕は意味もなく棍棒を振り回していて、それに意味も価値もないことをよおく知っているからです。こんなことを続けていてもどうにもならないんです。そして誰も救ってくれはしません。みんな棍棒を振り回すのに夢中になっているから。いっそのことその棍棒で僕の頭を勝ち割ってくれないかと思うんです。そうすれば僕は僕の生にも死にも責任を持たなくていいでしょう?」
 老人は急に顔を上げた。ドアが開き、看護師の姿をした女が棍棒を振りかぶり、老人の肩に打ち下ろした。老人は声を出さずに悶絶している。女は左手で老人の胸倉をつかんで無理矢理に立たせた。僕は女の左手首をつかんで腰を蹴とばした。女はベッドの脇に吹っ飛んだ。僕は老人を背負い、もと来た道を急いだ。老人は驚くほど軽く、自分一人で走っているのかと錯覚するほどだった。(つづく)


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