美意識という名の功罪
現代は容姿について気遣う時代である。
プチ整形という言葉も現代では珍しい言葉ではない。
芸能人をはじめ多くの人々が自身の中で欠点といける部分を最も簡単に治せる時代でもある。
欠点によっては莫大な金がきが発生すると思われるが、欠点を修復することにより人生が多少でも明るくなるのであれば、きっと高額な費用ではないのだろう。
これは個人的に感じる点だが、多くの人々が容姿に拘るせいか、特に現代人と言われる若い層は皆同じ顔で、制服を思わせる同じような服装、そして同じ化粧をしているので区別が難しい。
それはさておき、久しぶりにデヴィッド・リンチ監督の代表作である「エレファントマン」を鑑賞した。
事細かな説明を省かせて頂く。
単純にこの作品は見た目が普通の人と異なるだけで「エレファントマン」と名付けられたジョン・メリックとロンドン病院の外科医であるフレデリック・トリーブスの交友を軸に描かれる作品でもある。
見せ物小屋で奇形の人物が話題となり、フレデリックは医者の視点で気になり足を運ぶ。
実際自身の目で確かめたフレデリックは皆んなが思うような恐ろしい印象よりも、物悲しさを直接感じ取った。
素直に助けたいという一心で家畜のように扱い、見せ物小屋の主人バイツから引き離し病院へと運ぶ。
そんなフレデリックも当初は自身の野心から芽生えた研究としてジョンを利用した。
ジョンのことは口コミで噂が広がると、多くの人間が病院に訪れ見た目ではなくジョンの素直な心に触れ合うのだ。
だが、結果的にジョンは見せ物となる。
殆どの人々は好奇心から奇形のジョンを見たさに訪れたのだが、唯一一人だけ純粋な気持ちでジョンと接したいと願うケンドールというロンドン劇場の大女優が伺う。
ジョンとケンドールの仲は縮まると、偏見という壁がなくなりジョンは素直に自身のことを喋るようになる。
またケンドールもジョンは聡明な心の持ち主であると知ると、自身が務める女優としての仕事や劇場で繰り広げられる夢のような世界観をジョンに語ると、今まで見せ物小屋で家畜のように扱われていた時がまるで悪夢だったかのように考えると、ケンドールが語る世界は夢物語かのように想像する。
ジョンは憧れを抱くかのように劇場を想像して心が晴れやかになる。
しかし、反対にフレデリックは悩む。
ジョンに良かれと思い多くの人々に病院を解放したが、やっていることは鬼畜のバイツと変わらないのではと自身を疑いはじめる。
その反面、ジョンはフレデリックとケンドールとの交友で生まれて初めて人間として扱われたことを意識しはじめる。
当然ながら物語はいいことばかりではなく、偏見に満ちたいじめやジョンの苦悩が多く描かれている。
久しぶりに感じたことを述べると、容姿に拘る若い世代を責めることなどしない。
むしろ、そのような人々ももっと容姿に困っている人々や、国籍や肌の色が違うというだけで外へと追いやられる人々のことを実直に考えて欲しい。
そもそも外へ追いやれれる人々は好きい好んで世間のいじめの対象になりたくて生まれて生きたのではないのだから。
そりゃぁ、プチ整形でなんとでもなる問題であれば世の中は幸福に満ちた夢のような世界が広がるだろう。
だが、残念ながら現代も昔も平和そのものが夢物語でしかない。
そう考えるとケンドールが魅せる劇場の意味が理解できる。
娯楽があり非現実世界に触れ、現実と一時でも忘れると多少なりとも心のゆとりを感じるだろうから。
いやぁ、ちと後半は息苦しく感じただろうが、現実から逃げてはいけない。
また目を手で覆ってもいけない。
全てがプチ整形では片付かないのがまた問題だな…
わーお!
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