【これが愛というのなら】こじれた恋心が生んだ陰謀
院長夫人
あんが、体調を崩すようになっていた。
当時勤めていたクリニックに、看護師は3人いたが、1人は午前だけのパートで、人手が足りない。
新しい看護師の補充を院長に頼んだが、院長は曖昧に首を振って断る。
そしてあんは、院長夫人からいじめを受けるようになっていた。
院長とあんと私は、元々は同じ総合病院出身であったし、病棟勤務が長かったあんは、院長とも仲がよく、よく冗談を言い合う場面もあった。
それは、患者のいない昼下がり、若い明るいあんの笑い声と、慣れないクリニック経営で疲れていた院長が、その時だけ見せるおどけた表情で、スタッフ全員には、微笑ましい、心安らぐ時間であった。
しかし、毎日のように「差し入れ」を持ってくる院長夫人は、そうは受け取らなかった。
院長夫人は高校生の時、同じクラスの院長に一目惚れして、「代々続く医者の家系」を継ぐべく、勉強しにしか興味のなかった院長につきまとい、院長が国立の医学部に進学すると分かると、医学部は無理だが薬学部ならと追いかけるように進学し、一人暮らしの院長のアパートに通い詰め、院長が研修医の時は薬剤師として先に働いていた院長夫人が養い、妊娠した後結婚を迫ったというのは、総合病院でも有名な話だった。
そして、院長は子供は可愛がっているが院長夫人を疎ましく思っていることも。
陰湿ないじめに、もともと心が弱っていたあんは追い詰められていった。
休みを申し出ても、スタッフが足りないからとはねのけられる。
ならば退職すると相談しても、やはり黙殺される。
あんが日に日に窶れていくのを見るしか、私には出来なかった。
妊娠
「なぎさん」
望が、憂鬱そうな顔で家にやってきた。
手土産のケーキを皿に出しながら、私は軽い冗談のつもりで言った。
「また隆とやりあったの?喧嘩するほど仲がいいって言うしね」
「ううん」
望は、暗い声で話し出した。
「隆と、この間行ったカフェで、元彼と奥さんに会ったの」
すっと、血の気が引いた。
望は新しい彼氏も出来たし、その彼は元彼と比べても高給取りで顔もいい。
しかし、あんな別れ方をしたせいで、望が元彼とその奥さんに未だ複雑な思いを抱いているのは知っていた。
「なにか言われたの…?」
「直接にはなにも。…でも、奥さん、妊娠したみたい」
「え?」
「まだお腹も出てないけど、妊娠してるからカフェインは控えなきゃって言ってたの」
たぶん、これ見よがしな大声で話していたんだろう。
望は複雑な顔で紅茶とケーキをつついていたが、私は「変だな」と気がついた。
望と元彼の別れの翌日によりを戻したにしても、早すぎないか?
まさか望と別れる前からすでに2人は…
考えただけで吐きそうだ。
だが、これ以上望を傷つけたくなくて、私はそのことを黙っていた。
翌日出勤すると、リーダー役の看護師が慌てた様子で私に話しかけてきた。
「なぎちゃん、今から紅茶とケーキ買ってくるから!」
「紅茶ならスタッフ用のと患者さん用のありますよ」
「院長が一番高いの用意してくれって。前の病院の先輩で、お偉い先生が来るからって院長も慌てて」
「お偉い先生?」
総合病院の院長か医局長でもくるのか、など思いながら私は制服に着替えかけたが、リーダーの言葉で固まった。
「大学の先輩で、外科の部長先生が来るんだってー!院長も頭が上がらない人みたいなのよ!駅前のケーキ屋何時開店だったかなあ…」
リーダーが慌ただしくスタッフ控え室を出て行くと、あんが青い顔をして入ってきた。
「森山先生、来るんだ」
「はい」
強ばった顔であんが言う。
「お祝いにしたら遅いよね…。祝いの花ひとつ、送ってこなかったくせに今更」
「院長夫人が、招いたそうです」
あんの言葉に、眩暈を覚えた。
「…なんで?」
「総合病院に勤めている友達に聞いたんですが、森山先生の愛人に子供が出来てもめたそうです」
「愛人…」
「森山先生はもみ消したそうですが、△△さんのことのようですよ」
望の元彼の嫁だ。
「院長は医療の地域連携をもっと強くしたくて、発言力のある森山先生に何回か相談はされていたんです。でもずっと無視をされていたのに」
あんの声は少し震えていた。
今、なぜ、台風の目である森山先生かこのクリニックに?
あんと私は、他のスタッフが揃うまで、ずっと押し黙っていた。