【読書感想文・「うつ病サバイバルガイド」を読んで】私の「異常性」は「可能性」であった
読書の海に溺れて
最近朝の天気が良くなくて、あさんぽが1時間程度のせいか、かえって疲れやすい気がする。
実家に頼まれた明日までが納期の仕事は、あらかた片付いた。
「昼寝しよ(朝8時)」
など思ったけど、本を読んだ。
手元にあった紙の小説から、Kindleの既読の本やマンガ。
そして、私が「師匠」と呼んでる「鳥本明」師匠の本、今日はなに読もうかなーってストアを開いて物色。
「これにしよ」
読み始めたときは、そんなに強い動機があった訳でなかった。
「うつ病サバイバルガイド」
私は「うつ病」ではない。
自己診断で、若干うつっぽいかな?と思うときもあるが、処方薬に「うつ病患者には禁忌」の薬があるので、病名は「うつ病」はついていないとわかる。
北は25歳の時に「うつ病」になって精神科に行き、まともな治療も受けられず苦しんだが、30歳をすぎる頃、「私という爆弾」を抱えてしまったせいで、「うつ病」がどっかに行ったそうだ。
知り合いにも「うつ病」患者が身近にいて、どう接したらいいか悩んでいる人がいた。
なにか訊かれたとき、アドバイスの参考になるかな?と読み始めた。
しかし、読んでいる途中から叫びそうになる。
「全人類、読め」
この本でも「叫ぶ」ことが推奨されているので、この叫びは正しいのだ。
①自分の取説作り
全部の章を取り上げると、多分長編小説並みに6万文字とかになりそうだから、我流でまとめる。
占いや、性格診断とかをまとめてみる。
好きなこと、嫌なことリストを作る。
こんな感じ。
占いはよくやるので、たまに私もnoteにまとめる。
好きなことは「読書」なのだろうが、「天然石」、「あさんぽ」、「猫」などもそうだろう。
嫌なこと、「実家」。
苦手な物は、「動画」だなって気がついた。
これはテレビ、映画、アニメを全部含んでいる。
私はおっとりしたのんびり屋さんなので、一度に「人物」「台詞」「音楽」「効果」が目の前に現れる「動画」が得意でないなと。
だから、「アニメ」や「映画」を見るときは、これはかなり調子がいいとき。
ここ最近は、全く見てない。YouTubeさえ。
②ブレーキの壊れる病気
作者は「うつ病」のことを「ブレーキの壊れる病気」と書いていた。
これは、「解離性記憶障害」の私にも言えることだ。
ブレーキが効き過ぎたとき、私は自分を守るために「記憶を無くす」。
少しハイで、ブレーキが弱いときは、「記憶をなくしたあげく高額な買い物をしたり外食に行く」。
どっちにしても、大事故。
ちょうどいい感じの時、私はやっと「私らしい」と自覚する生活を送れる。
本を読み、お茶を入れ、物を書き、食事を作る。
そういえば、北が「うつ病」の時、仕事の帰り道にあるコンビニ全部によって、「菓子パン」を買って車の中で食べるという行動をくり返していたそうだ。
173センチ、56キロの体重が64キロまで増えて、自分でも体が重くて仕方なかったらしい。
確かに、私も「記憶を無くす」って発作の前、「ちょっとやばいな」って時、ふわふわの口に入れたら溶けるような蒸しパンが無性に食べたくなる。
これは、自分の心の「ブレーキの壊れる前兆」なのかも。
気をつけよう。
③書くことに人生を捧げる
本書全体に散りばめてあるメッセージ。
作者は49冊もの本を出版されていて、Xもされて、ブログもなさっている。
「書くことに人生を捧げる」
というと、ゲーテとかヘッセとかマンとか想像してしまうが、どのように書いたかではなく、「何を書き残すのか」が大事だと伝えている、と私は感じた。
私もこのようにnoteで長文駄文を増産している。
私もまた「書くことに人生を捧げている」と言っていいのかも知れない。
④よい関係性こそ資産
私は、北や望、敏也など身近な人から、17年前くらいにやってたブログで未だに付き合いのある人、そして、noteで出来たお友達など、大切な人たちがいる。
最近、オプチャ「ゆると~く」で知り合った作家の方々も、大切な人たちだ。
リアルな友達は、北以外は、私の「感情ジェットコースター」に巻き込まれないくらいの距離で、でも本当に困ったら手を差し伸べてくれる。
note、ブログで知り合って仲良くしてくださっている方は、「この赤裸々な文章を読んでなぜ仲良くしてくれるの…?」と不思議に思う事もあるが、とても大切。
「ゆると~く」では、私はまだまだ新参者だし、ものをよく分かっていないが、皆さん丁寧に色々教えてくださる。
その中で「白明」さんの著書「愚者」で
「Kindle作家は仲間であり、好敵手」
とあったが、その通りであるのだ。
甘やかすだけでない、切磋琢磨しあえる。
「よい関係」だ。
⑤ちょうどいい幸せをさがす
私などは、ある程度ノルマがあった方が気持ちに張りが出るが、無茶な時間管理や目標はしないほうがいいと思う。
北は、仕事して帰って、ゲームをするのが幸せ。
望は、だんなさんに甘えて、天然石でアクセサリーを作って、好きなデザートを食べるのが幸せ。
私は、本を読んで、文章を書いていたら幸せ。
誰かと自分を比べることくらい、「幸せ」を壊す行為ってないと思う。
私は朝、あさんぽの時にTMNETWORKの一曲を聴き続け、帰ってから「自己お題」で、その曲から得たインスピレーションで詩を書くのがマイブーム。
それは、私にとって「聖域」で、他の人からしたら「意味の分からない行動」かも知れない。
でも、人からの評価より、「私が書きたい」から書く。
幸せ。
⑥知識はコスパ最強
私はKindleUnlimitedに入っているから、対象のものは読み放題。
また、母が子供の頃から本や図鑑、辞書を買い与えてくれたので、今でも読むこと、辞書を引くことは苦ではない。
「ネットがあるから、辞書はいらない」
って言葉もあるようだが、「ネットで検索」するには、ある程度「自分の知識」が絶対必要。
その点、辞書は曖昧なまま引いても、目的の物が見つかったり、関係ないけど「これなに!」ってことを見つけてしまって新しい知識が増えていく。
私は二十歳の時に買った「大辞泉」を未だに使っているが、完全に元を取ってる。
あと、noteにあげている記事で、引用がなかったりする時のネタは、ほとんどが北から得た知識。
私は自分の興味のある分野しか調べないし、テレビやラジオ、ネットニュースを見ないから、世界は狭い。
けれど、北の話、note、KindleUnlimitedの本を読んでいるだけでも、ネタがたまって「書くことがない」なんて日はない。
「知識」は、持っておいた方がいい。絶対。
(作者がNAVERまとめをされていたとあって、感動。大好きなサービスで、なくなったときちょっとしたロスだった)
⑦褒めて!
私は相当な甘えん坊なので、北に
「ご飯食べたから褒めて」
「自傷行為しなかったから褒めて」
「ちゃんと寝たから褒めて」
など、「当たり前のことをしたら褒めてもらう」ことにしている。
まあ、「当たり前のことが出来ない」から、7年間通院しているのだし。
そして、私も北や望、noteでも、「いいな」と思ったらスキしたり、コメントで褒めさせてもらう。
「褒め合う」
って、それが忖度でなかったら、気持ちいいことだ。
⑧本気でいいと思った事しか紹介しない
⑦に繋がるが、私は「おべんちゃら」が嫌いだ。
そんな物は、営業職で使い果たして、今の私には残っていない。
だから、noteで紹介する記事や、本は、「私が本気でいい」と思ったものばかりだ。
本を読んでも、「ここが気に入らない」って奴はそう書くし、前にも書いたが、読んで評価に値しないと「私が感じた」なら、レビューもしないし取り上げない。
本当にご大層な身分だが、「消費者さま」なのでね。
まあ、「この作品さいてー」的な事はわざわざ吹聴しない。
書いても「私には合わなかった」って書くじゃん。
「合わない」と思ったら黙って去って行くお客様が一番怖いよね、販売でもなんでも。
私はそういう「消費者さま」。
好きになったら好き。
嫌いになったら嫌い。
興味が持てないことは絶対しない。
(早く実家と縁を切りたい)
⑨異常性
作者は、「こんなことはみんな当たり前にしているだろう」と言ったことが、珍しがられる現象を「異常性」と書いている。
「異常性」と書くとびっりするが、その人の「特出した技術」だったり「習慣」だ。
私などは、絵が描けないから「猫の手」さんの描くイラストを本当にすごいって思う。
また、「ミイコ」さんのように、投資で確実に結果を出し、その努力を怠らない人を尊敬する。
そして、私から見たら、私に出来ないことをやっているふたりは「異常」である。
なんで?って不思議。
そして、じゃあ、私が日に10冊程度本を毎日読んだり(巻数の多いマンガを入れたらもっとエグい。最近今更「進撃の巨人」読み始めたし)、1日平均1万文字書くのは、もしかしてちょっと特殊なのかな?と思った。
それしか出来ないのなら、「そこ」を生かすしかないじゃないか。
まとめ
本当はまだ書きたいが、この辺で、「うつ病サバイバル」の感想を終えたい。
しかし、この本を読んで、私はなにが長所、短所、また、「何がしたいのか」がわかった。
「私の長所」
何事も継続できる根気
一度決めた事はやり抜く
「私の短所」
何事もやり始めたら悪習慣でもやめられない(ゲームとか…)
一度決めたことは吐いても入院してもやり抜く
わかりやすいなー。
そして、まだ2冊しか本を出していない私だが、やっと自分が「書きたい本の方向性」が見えた。
「ライフハック」や「ドキュメンタリー」ではない。
「エッセイ」でもなかった。
「私小説」が書きたい。
完全創作も書いていくが、私が「今」書きたいのは「私小説」だ。
「私小説」とは昔懐かしい表現だし、今は違う言い方があるかもしれないが、私の書くものは「私小説」だなと思ったのだ。
今の世の中、「私小説」ね、と自分でも思った。
しかし、売れるかどうかより、「書きたい物」を書いていく。
「エッセイ」的な散文はnoteで書けるし、それは今後本にまとめる予定でもあるけれど。
一冊で、深く考えさせられたし、「自分の行くべき道」も見つけられた。
悩んでるなら、読んでみな。
それが、早道だ。