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ゼロとイチのあいだ

できたかできないか、
それだけで考えてしまっていませんか?

無意識の自分責め

こうじゃなきゃいけないのに
そうできてないとき、
やっぱりできなかった、自分はダメなんだと
無意識に頭の中で自分に向かって声をかけている、そのことに気づいていませんでした。

自分に向き合って、こうなりたいと思って
目標を立てて進もうと決めて
でも計画通りに進まないことはけっこうたくさんあって

こうしなきゃ、あれもこれもやらなきゃ

朝決めた一日のスケジュールも、
計画通りに全部できることのほうが少なくて、
(予定の見積が甘いのでそこの見直しも必要だけれど)
できた、できないで無意識に考えていることに気づきました。

そもそも人の脳は、
1日6万回の思考を行なっているそうで、
そのうち約80%はネガティブなものと言われています。

だから、できたできないで考えるとき、
どうしたってできていない部分に意識がいってしまい、やっぱりできていない、
と全く意識せずに自分に向けて言っていること
それすらに気づいていませんでした。

これが無意識の思考かと、
自分の自然な一部であったので、
気づいたときは衝撃でした。

午後、仕事の合間にコーヒーを買いに、
カフェでレジに並んでいたときに気づき、
その情景まで印象に残っています。

ゼロイチ思考

ゼロイチ思考とは、
プログラミングの「0」と「1」に分解して処理をすることに例えて、
物事を両極端にしか見られない思考を言います。


好きか嫌いか、
やるかやらないか
できたかできなかったか

中間を考えずに、0か1でしか考えないこと

優柔不断な性格と思っていたので、
ゼロイチ思考なんてまさか自分に当てはまるとはと思っていたのですが、
そうではなくて、
日々の生活の中で本当に何気ないところで、
できたかできなかったか、
秒単位で確認していて
できていなかった時はやっぱり自分は駄目だという思考をしていたのです。

カフェでレジ待ちしていた時に頭に浮かんでいたのは、
・資料を1時間で仕上げる、けどできなかったから生産性が高くなかった
・〇〇さんに連絡する、けどチャットに対応していてまだできていないから容量が悪かった

少し前の投稿でも、
・こうしなきゃと考えてしまうことは正しくない
・その思いが浮かんでしまう自分はダメだ
という文章を書いていて、

どちらも完全に無意識で、
まさに、、と自分で苦笑いです。

間があることが自然

人間だから、
ゼロとイチだけで生きているのではなくて、
イチではないけれどできたことや
イチとゼロの間に一番良い方法を見つけたり、
イチとゼロでもない、もっと違う答えがあったり

できていなかったとしても、
ダメではなくてここは進んだなとか、
今、ダメではないなって気づけているなとか、
またゼロイチ思考になりそうだったけど、気づけてセーフとか、
自分で自分にかける声は選択できる

だから、気づくだけでも大きな変化と思うのです。
いらない思考を手放すというのは、
こういうことなのかと改めて感じています。

変化の重なり

畑でもなく、
一株だけ入る小さなプランターという環境に、
きゅうりを苗から育てています。
今夏で、小指くらいだったきゅうりが、
一週間経つと本当に食べられる大きさに青々といきいきと成長していて、
目に見えるその変化に改めて生きている力ってすごいなと感じます。

毎日の小さな変化を重ねて
やがては実になるのが自然だから、
人間だって小さな変化を重ねることは
何よりも力があるはず、
と我が家のきゅうりを見て思いました。

自分が何を考えているのか、
言葉にしてみると目にすることができて、
気づかなかったことに気づくことができるので、
まずは自分の気持ちを手でペンを持って書き出してみること、すぐできるのでお勧めします。

そしてコーチやカウンセラーなどと話すだけでも
気づいていない自分に早く気づくことができるので、悩んだり答えが見つからないと思ったら
とてもお勧めです。
体験コーチングを募集していますので、
興味がありましたらこちらもぜひご確認ください。


今日のあなたがあなたのいきいきとした時間を感じられていますように


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