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大使閣下の料理人
大使閣下の料理人という漫画の原作本を読んだ。
嫌なことを思い出すから、図書館で自分で予約して借りたくせに気が進まなくて、期限ギリギリまで読まないでいた。しぶしぶページを開いてみたら、面白くて半日で読み終えてしまった。
多分漫画はこの内容を膨らませてあるのだろう。この本は章も少ないし、エピソードもごくあっさりとしていた。
読んでいて面白かったのは、この人が文章を楽しんで書いているのが伝わってきたからだ。所々自分ツッコミの()が、やや鬱陶しいくらい入るのだけれど、それが絶妙なテンポを生み出していて、料理を作るときに音楽がなければやっていけないという筆者の人となりが文字から伝わってくるようだった。
筆者の赴任した地は発展途上国が中心だったから、娯楽が少ない。特に夜は何もすることがないから、音楽が大事だったそうだ。赴任先に大きなギターケースを担いで行ったら、大使に遊びに行くつもりなのかという目で見られた話、現地で海賊版のテープを買った時の店員とのやりとり。楽器の心得のある大使にセッションしようと持ちかけられたものの、「音楽に対する方向性の違い」でそれっきりになったというエピソードも楽しかった。
大使は健啖家で胃腸が強くないとこなせないと筆者は言う。なにせ、平日はほとんど毎日二回、賓客と共にフルコースを食べる必要があるのだ。五カ国語が出来て、外交に対する知識と手腕、度胸もあって、人付き合いにも長けていて、おもてなしや嗜みのため、あるいは公務のストレスを解消するために、剣舞が出来たりスポーツが出来たり、ワインを一口飲むだけで品種の違いが分かったりする(しなければならない)。それが自然に出来る人達。天上人のようだ。でも、こういう人が現実に居ることを私は知っている。
私の大学時代の友人(と言えないくらい全然会っていないのだけれど)に、外務専門職に就いた人がいる。外交官というのは東大閥がものすごいし、上述したように無尽蔵の体力精神力が要るし、女性だというだけで激しくディスアドバンテージだからと、最初から専門職狙いで努力を続けてきた人だった。私は大学時代へらへら生きていたくせに、入学当初からの夢を叶えた彼女に劣等感を抱いていた、と思う。今も彼女は仕事を続けているのだろうか。新卒二年目くらいに東欧のどこかにいると人伝に聞いたけれど、その後どこの国にいるのかも知らない。私との差はどんどん広がっているのだろうなあと思う。そういう同期達が多数いることが最近の気鬱の原因の一つでもあるらしかった。
しかし、大使ほどではないにせよ、私にそういう、自分以外のことに対する全方位的な努力と興味の持続と能力発揮が「出来たか」、というとネガティブなので、したかったかと言うと多分したくなかった。日本が世界各国と協調していくことについての高邁な理想を持ち続け、その実現に向かって自分の武器を磨いて国に捧げることは不可能だった。そういう道に進む決断を20歳だか21歳だかにしていたら、私もそれなりのところまでは行けたと思う。彼女も通った道を、彼女と同じように非常に努力して、無理をして。でも私はそれをしなかったのだ。そんなことを、全然違う興味関心から読みはじめた本で気付かせてもらったのは、なんだかとても妙な巡り合わせだった。
この本の著者が、人生楽しんだ者勝ち、美味しいもの食べて音楽を楽しんだもの勝ちだ、フランス語が出来なくてもフランス留学していなくてもフランス料理を作れるんだから、というべらんめえ調の生き方をしているのにむやみに勇気づけられた。実際には彼にも長い下積み生活、言葉にならない苦汁の日々、あるいは努力を努力と思わないという才能、一つのことをやり続けることを厭わない度胸があったのだと思うから、私とは月とすっぽんなのだろうけれど。
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