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今年は編み物を始めてみようと思った訳
年末に怪我をしてしまい、大事には至らず一安心でしたが、伸ばすと痛いので、動作の全てを注意深く行わねばならず、何もしていないのに、夜にはすっかり疲れて早めに就寝しました。
運動神経にはそれなりに自信があったんですが、もはやとっさの出来事に反応できない年齢であることが身にしみました。
それと同時に、どこも痛くなく、自由に動ける健康な体であることに感謝の念が湧いてきました。ちょっと横っ腹が痛いだけで、こんなに不自由なんて、体が思うように動かせない人や高齢者などは日々大変な思いをして生活されているんだなと思った年の瀬でした。
私もこれからどんどん年をとっていくことも実感しました。浴室の掃除だって今まで転倒したことなどなかったのに。
歩くことはまだまだできそうですが、走ることもそのうちできなくなるんだろうなと思うとなんだか寂しい気持ちになりました。
そうなったら、動かないでできる趣味みたいなものがあったらいいかもと思い、なぜかパッと頭に浮かんだのが、「編み物」でした。
実は、私の母は、手先が器用で、中学生の頃までは、ニットは全て母の手編みでした。いわゆる小学生が着るような子供らしい色合いのニットではなく、大人用をそのまま小さくしたようなセーターなど、現在の私の好みもこの頃に醸成されたような気がします。
「ミステリと言う勿れ」に「子どもは、固まる前のコンクリートみたいなもの」という整くんの言葉が出てきますが、子どもの頃の出来事や言われたことって、本人も忘れているような心の奥深く、潜在意識みたいなところに確かに刻み込まれてて、大人になって、フッといきなり出てきたりするんですよね。
私の編み物に対する思いも、母がいなくなって、存在感が弱ってきたから、やりたくなったのかもしれないなと思ったりして。
以前は、作る方には全く興味がなかったので、編み物といえば、中学生の時にスキー合宿用に学校でニット帽を編んだ時ぐらいだと思います。今思うと母に習っておけばよかったなあとちょっと後悔しました。しかし、多分本当に習っていたら、なんだかんだで喧嘩して嫌な気分になっただけだと思います。
なにしろ母は、神経質で、気になったら、とことんののめり込み型。そんな母のことは、どう贔屓目に見ても好きではありませんでしたが、やはり血は争えないのか。なぜ今年いきなり編み物をしてみたくなったのか…。
我流ではすぐ挫折しそうな気がしたので、とりあえずフェリシモさんの「はじめてさんのきほんのき 棒針編みてとりあしとりレッスンの会」を申し込んでみました。
すごく丁寧に説明されているので、初心者でも挫折せずに済みそうです。
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編み物って無心でできるのかと思っていましたが、私の場合、数を数えながらでないと、目が多くなってしまったりするので、意外と頭を使います。手も動かすので、これからの趣味に最適かもしれません。
もっと早くに始めれば良かったかも。