【あやめ十八番;百夜車】ロマンな夜に観劇はいかが?
どうも、大人になっても胸ときめきの天才ジュエラーです。
勝手に画像拝借してすみません。
中学生の頃の国語の授業でボブ・マーリーの伝記を読破して以来、遊び心が胸に溢れている私ですが、先日はひとしお高尚な"遊び"をして来ました。
つまり"観劇"してきたのです。
なぜ「高尚」と言ったかというと、
音楽のジャムセッションみたいに、その場のノリ、フィーリング、インスピレーションで一曲やるのとは違い、
そのステージに込められた構想、労力、時間、練習量が桁違いだからです。
自分たちの企画ライブですらその熱量には敵いません。
音だけでなく一挙一動までもが緻密に構想され練習を積んできたものなのですから。
「百夜車/あやめ十八番」を観て、改めてその鬼気迫る創造力を感じました。
音楽劇 百夜車 by あやめ十八番 感想
①つらつらと感想
江戸時代の怪談話のように、底にうっすらと張り付く不気味な「ホラー」を感じる見事な世界観。
それをエンターテイメントとして楽しく、それでいてチープにならない絶妙なバランスで完成されており、大変面白かったです。
個人的には検察パートがすごく楽しかった。
ちなみに、ホラー作品ではありません。
誤解なきように。
ただ、なんだろう。
人間ドラマのはずなのに、目に見えない意思が働く不気味さは(そしてそれは明らかにはならない)、
映画「八つ墓村」だったり、古い日本の昔話にあるような(具体的な作品が思い出せません…)ものを感じました。
そうしてどんどん世界観に引き込まれてしまい、
終盤の辞世の句と共に人生の幕が引かれる様には、人間の果てない情感への感動を覚えました。
華厳の滝から「辞世の美文」と共に身を投げて散った100年前の少年の姿が重なるほどに。
※藤村操 華厳之感を参照!
②音楽の感想
映画音楽の作曲者は舞台音楽の作家上がりが多いと聞いていましたが、
今回初めて五感を持ってその道程を感じました。
今回はピアノの方がコンポーザーとのことでしたが、曲入りのタイミングやドラマーで言うところの「カウント出し」が絶妙で、舞台の世界観を見事に演出しているのです。
そしてミュージシャンの方々、ボーカルの方々に「アカデミックな巧さ」を感じました。
普段私が出入りするような汚い半地下のバーでは「自称無学」でノンダイアトニックコード使いたがりの反体制派でひしめき合ってますが(実際はちゃんとしていますが)、今回の舞台の演者さん方は、ステージでこそより華いで輝くように見えました。
良くこんな歌える人たちを揃うなぁー
と半ばキッズの感想です。
気風のいい婚約者さんが、突然診察中に見事な歌を披露するだもの。
あんたも歌えるんかい状況ってやつです。
私自身も日頃から「"演劇"と"音楽のライブ"は似ている」と高尚ぶったことを吹聴していますが、今回はまさにその二つが融合した最スリリングなステージでした。
とりわけ、主人公(?)の身体の大きい男性記者の人。
あの人のボーカル力には「やや!」ってなりました。
③百夜通い(テーマ逸れ話)
「百夜通い」という言葉が正しいかわかりませんが、西洋にも似たような話があるみたいですね。
「100日間かかさず女性の元に通い、その胸に燃える慕情を行為にて示す。百夜通いが成就した後二人は結ばれるという約束をする」
そして西洋版ですと、毎日姿を見せていた男性が100日目にはとうとう現れなかった、
と言うものです。
「さて、なぜ男性は99日も女性のもとへ通ったのに、100日目に姿を見せなかったのでしょう?」
禅問答です。
そういえば少し形は違いますが、
夏目漱石の「夢十夜」には、
「100年待っていて下さい」という言葉を床に伏す美しい女性が口にします。
「待つこと」は至上の愛の形だとする解説を読んだことがあります。
人を愛することがいかに難儀なものか…
昔の人たちは考えたものです。
総括
こんなご時世でしたが、ライブを観れることは幸せです。
できればもっと近い席で見たかったですが、
あのダイナミクスの差とスリリングな空気感はライブでしか味わえませんね。
素晴らしいステージにリスペクトをこめて。