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隠れたカリキュラム―娘の育て方を考える

「女の子らしい」とか「男の子らしい」というイメージは教育を受ける過程で段々と頭に刷り込まれていくことがあります。明確にこうしなさいと言われるわけではないですが、親や先生、メディアなどから子どもたちは女の子らしく或いは男の子らしく振る舞うとはどういうことかを身につけていくのです。これを教育社会学の世界ではしばしば「隠れたカリキュラム」として論じられています。

今回は私の経験や娘の育て方について考えたことを書きたいと思います。

洋服の色

隠れたカリキュラムの中でもよく言われているもので、洋服やランドセルの色があります。

今でこそランドセルは多彩な色のものが売られていますが、私の時は女の子はピンクか赤、男の子は黒か紺という感じだったと思います。学年で一人だけ茶色のランドセルを持っていた女の子がいて、当時の私は変だと思っていたことを覚えています。

他にも赤ちゃんの服の色などもすごく分かりやすかったです。私は娘を出産する前に数着服を購入しに行ったのですが、売り場に置いてある服はピンクか水色の二極化していました。確かに赤ちゃんの頃は容姿で性別を判別することは難しいので洋服の色で判別することが多いとはおもいますが、赤ちゃんの頃からすでに赤やピンクなどの暖色系は女の子らしい色で青色などの寒色系は男の子らしい色という識別が始まっているのです。

産前ははっきりと性別が分かっていなかったということもありますが、あまり小さい頃から我が子に服の色で性別のイメージを持ってほしくないという思いも込めて、白や黄色の服を揃えました。(後に周囲からピンクの服を着せなさいということを言われてしまったのですが…)

子ども向けテレビ番組

子ども向けのテレビ番組も性別役割観の形成に関与していると考えられています。

子ども向けのテレビ番組は女の子向けと男の子向けの区分けがあるように思います。〇〇レンジャーのような戦隊系とおジャ魔女どれみのような女の子が変身して魔法を使ったりするようなものです。

私は戦隊ものは全く見ることはなく、いわゆる女の子向けの番組ばかり見ていました。ピンク色の服のキャラクターが必ずいて、可愛い衣装に着替えたりキラキラした道具を使います。そのようなキラキラと可愛くなることに憧れを持っていたのは覚えています。

このようなテレビ番組が私の生き方に大きな影響を与えたとは思いません。しかし、当時は男の子が好きになるようなものを自分が好きになることはカッコ悪いし変だと潜在的に思っていたと思います。

まだ娘はテレビ番組を理解して見る年齢ではないですが、親が女の子だからこの番組を見るのが良いとか決めつけて見せるよりは子どもが好きなものを見せたいなと思っています。

文系・理系

娘にとってはだいぶ先の話ですが、文系・理系の選択についても男女比の偏りがあるのはよく言われていますね。文系は女の子が多くて、理系特に工学系は男の子ばっかりといった具合ですね。

私は父がバリバリの理工系でエンジニアだったということもあり、小さい頃から理系に行くように度々誘導されて来ましたが、どうも理数系は得意ではないような気がして文系に進んでいます。

数学自体は決してセンスがあるとは言えないですが、学校の勉強程度であれば点数は取れていましたし、極端に苦手ということはありませんでした。しかし、私の中でなんとなく「苦手かも、向いてない」という意識は消えることはなく、数学という教科との向き合い方は常にマイナスでした。

また、周りに数学が得意な女の子や女性がいなかったことも原因だと思います。小学生のときに通っていた塾の先生で1人だけ女性の数学の先生がいて、珍しくて親に報告した覚えがあります。いつも算数(数学)や理科の先生は男の先生であることが当たり前だと思っていたからです。

理数系の教科を教える先生は男の先生が多かったということも理数系は男の人の教科だという認識に繋がっていたのだなと後から思いました。

このような私の経験から、将来的に娘が文理選択する際には女の子だから理系はむいていないかもしれないとかリケジョは大変だといった意識にならないよう気をつけないといけないなと日々考えております。

最後に

隠れたカリキュラムはここに挙げきれないほど沢山の事例があります。家庭だけではなく学校の教育現場や友達との関わりの中でも子どもたちは性別役割観というものを習得していきますので、親が関与する部分は限られています。無意識に女の子はこうあるべき、男の子はこうあるべきという考え方をつけていくのではなく、娘には自ら考えて自分らしい振る舞いや生き方を取捨選択できるような大人になって欲しいなと思っています。

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