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ハン・ガン「すべての 白いものたちの」

本書は、ノーベル賞を受賞した韓国人小説家ハン・ガンの作品です。
原題は、日本語で直訳すると「白い」という意味の連体形であることから、翻訳者(斎藤真理子)が本書の中の1節の標題「すべての 白いものたちの」を題名としたということです。
この原題の意味するところは、本書のテーマと思われますので、あとがきの作者の言葉から以下を引用しておきます。
(ハン・ガン. すべての、白いものたちの (河出文庫) (p.98). 河出書房新社. Kindle 版.)

私の母国語で白い色を表す言葉に、「ハヤン」と「ヒン」がある。綿あめのようにひたすら清潔な白「ハヤン」とは違い、「ヒン」は、生と死の寂しさをこもごもたたえた色である。私が書きたかったのは「ヒン」についての本だった。

ここで表現されている「ヒン」が、本書の原題に当たる言葉です。
まさに生と死が、本書のいずれの文章にも底流していると思われます。

本書の内容は、出産後2時間で亡くなった姉、その姉が死ななければ自分の生はなかったのではないかとの自問に焦点が当てられています。
しかし、そこを如実に表現しているわけではなく、きわめて抽象化して描いています。
ある意味、詩に近いように感じられます。
「白い」を基調として、ソウルやワルシャワの街(文中ではナチに抵抗した都市と表現されていますが、作者の言葉に明記)を象徴する生活や風景を描いています。
光州事件を題材とした「少年が来る」を書き終えた時期でもあり、ポーランドの翻訳家の勧めで、子どもとともにワルシャワに数か月を過ごしたことが背景としてあります。

わたしは、本文、作家の言葉、翻訳者補足、平野啓一郎解説をとおして一度読んでから、すぐに再読しました。
それでも、わたしにはなかなかわかりにくい小説です。

わたしが本書から受けた印象は、以前に韓国の詩を読んだときの印象に近いものがあります。
そこではいずれも「無垢な精神性」を感じたのです。
本書でも同様に、「作為のない透明な精神」が流れていることを感じました。
姉の死と自分の生をとおして、自身の心奥に迫る技法として詩的表現がとられ小説を構成しているものと思います。

最後に、本書の「3.すべての 白いものたちの」から以下を引用します。
(ハン・ガン. すべての、白いものたちの (河出文庫) (p.83). 河出書房新社. Kindle 版.)

だから、もしもあなたが生きているなら、私が今この生を生きていることは、あってはならない。  今、私が生きているのなら、あなたが存在してはならないのだ。  闇と光の間でだけ、あのほの青いすきまでだけ、私たちはやっと顔を合わせることができる。

韓国の詩に関するわたしのnote投稿記事は、以下のとおりです。
興味のある方は覗いてみてください。


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