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井伏鱒二「黒い雨」

本書は、ずっと読みたい読まなければと思っていました。
昭和41年に刊行されていますが、長い期間が経過してしまいました。
大江健三郎「ヒロシマ・ノートす」を読んだのがキッカケで、本書をようやく繙くこととなりました。

本書は、原子爆弾が広島に投下された前後の日々を綴っています。
当初の表題は「姪の結婚」でしたが、雑誌連載の途中から「黒い雨」に変えています。
主人公の閑間重松が原爆投下から4年以上経過した時点で、姪の矢須子の縁談を契機として矢須子が被爆していないことを証明するために、当時の日記を清書するという形式でストーリーが展開していきます。
8月15日の終戦の玉音放送を聞いたときの状況の日記の記述とともに、現時点で放射能による原爆症を発症した矢須子を案じつつ小説の結末となります。

本書を読了するのにかなり苦労しました。
小説冒頭から広島の市町村名や駅名が分からないために、ネットのマップを開きながら確認したために時間を要しました。
読み始めてから読了するまでに4週間近くかかりました。
そして原爆投下時の広島の有り様をリアルに描き切っていることから、まさに暗澹たる思いに捉われました。
人によっては挫折してしまいそうな内容でもあります。
しかもたんに記録というべきものではなく、人物描写や情景描写など卓越しており小説としても読みごたえがあります。
姪の縁談という現時点において、原爆投下時の状況を当時の日記を清書するという形式で、なかなかに巧みな小説の構成となっています。
井伏鱒二の小説家としての力量を再確認しました。

本書より以下を引用します。
(註)井伏 鱒二. 黒い雨(新潮文庫) Kindle 版

〇主人公の率直な思いが記されている日記の箇所

 僕は或る詩人の詩の句を思い出した。少年のころ雑誌か何かで見た詩ではないかと思う。  
――おお蛆虫よ、我が友よ……  
もう一つ、こんなのを思い出した。  
――天よ、裂けよ。地は燃えよ。人は、死ね死ね。何という感激だ、何という壮観だ……  いまいましい言葉である。蛆虫が我が友だなんて、まるで人蠅が云うようなことを云っている。馬鹿を云うにも程がある。八月六日の午前八時十五分、事実において、天は裂け、地は燃え、人は死んだ。
 「許せないぞ。何が壮観だ、何が我が友だ」  
僕は、はっきり口に出して云った。  
荷物を川のなかへ放りこんでやろうかと思った。戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい。

本書を読んでいて、心底この言葉が心に沁みました。

〇本書の最後の部分

「今、もし、向うの山に虹が出たら奇蹟が起る。白い虹でなくて、五彩の虹が出たら矢須子の病気が治るんだ」  どうせ叶わぬことと分っていても、重松は向うの山に目を移してそう占った。

この記述の前に「白い虹」は、悪いことの前兆としてあります。
原爆投下後の広島で矢須子を引き連れて歩き、黒い雨に打たれたことで原爆症を発症したことへの悔恨と矢須子への愛情、そして一縷の望みを捨てきれない重松の心情を著しています。

遣り切れない思いに駆られる結末です。
原爆投下後、5年くらい経過してからのことです。
現在でも、黒い雨に遭ったか否か被爆者認定の裁判での重要な争点となっています。
過去のことではなく、これが現実なのです。

本書の読後感は感想というよりも、眼を逸らしてはいけない事実を突きつけられたことです。
原爆投下直後の死体の散乱する広島で、顔に火傷を負った主人公が黒い雨に打たれながら歩き回る事実をリアルに受け止めました。
当時は放射能のことなど知る由もないのです。

原爆投下時の状況を少しでも知りえたことが、わたしにとって有意義なことでした。



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