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8月6日、広島に祈りを向けて

8月6日、今年も広島に気持ちを向けました。

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2016年、7月下旬。初めて広島に行きました。

念願の広島でした。ずっと行ってみたかったけど、なぜかタイミングを見つけられず、いけないまま過ごしていた地の一つでした。

2016年、少し休みができて、初めて1泊2日の弾丸旅で広島に行ったとき、絶対に広島平和記念公園、原爆ドーム、広島平和記念資料館にはいきたいと、旅行日程を立てました。

原爆ドームは、映像で見る印象と実際の印象がなぜかうまくイコールに映らなかった。よく見ていた建物のはずなのに、目の前にしたら、すごく不安になったのを覚えてる。広島の最初の夜に見たときの印象と、平和記念資料館でいろいろなものを見てからそばで見た昼の青空の下見る印象も、また違った。教科書なんかで見ていたもの以上の、思いがのしかかってきた。
ボランティアのガイドの方、ツアーガイドの方が熱心にお話しされていて、それもまた、資料館だけでは知り得ない情報だった。全員の感じたもの、事実、真実、そして、個人の思い、受け継がれた思い。それぞれが、ずっとここにあるんだなって思った。

平和記念資料館は、物凄い情報量で、見終わってから、とても疲れてしまい、少し休憩をした。持って行った飲み物を飲み干して、ぐったりと座り込んでしまった。すごく怖くなって、不安に襲われたからだ。
入り口にある世界平和監視時計の存在も衝撃だった。
広島への原爆投下からの日数を刻み続けるその下には「最後の核実験からの日数」が書かれていた。
初めて行った2016年の7月下旬、200日にも届かないその表示を見てかなり驚いたはずなのに、
去年の春(2019年4月下旬)に見に行った時には、495日と表示されていた。リセットされていたんだ。0日だったり、一桁だったりを目にしていたらどんな気持ちだったんだろう。

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元の街並み、その日を迎えるまでの経緯、その日、その後、近年、今。
あの日に終わったことではなく、今も続いていて、これからも思い続けて考えないといけないと、強く思った。
今まで2度足を運びましたが、リニューアル前後で行っていることもあり、それぞれ感想は違うけど、思ったことは同じだったと思う。

膨大な遺品の数々や、当時の歴史資料をゆっくりとみた。なんとも言えない気持ちは、忘れてはいけないものだと、心に留めた。当時でなく、現代のものとして、2016年の展示で見た「オバマ大統領の折った鶴」も感慨深かったな。

9日は長崎を思う日だ。
長崎は出張で行った際に、早朝散歩で平和公園に行って、有名なあの像「平和祈念像」だけ見たことがある。いつか長崎もゆっくり時間を作って旅してみたい。


8月は、戦争について考えることを意識することの多い月。
わたしが目についてなくて、知らないだけかもしれないけど、私が小学生の頃よりも、いわゆる「戦争特番」のようなものが少なくなった気がする。
「歴史の一コマ」だけど、今後同じ過ちを繰り返さないためにも、各々が歴史を紐解いていかないといけないよね。思いを馳せないといけない。未来は、歴史の、今までの続きだから。
教科書に載っているだけの世界ではなくて、それを経験した人がいるうちに、いろんなことを聞いていかなければいけないんだよね。

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まれ(ほまれせん)
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