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夏目漱石「永日小品(柿)」

夏目漱石の後期3部作を読んだ流れで、「永日小品」を読みました。
身近な出来事やロンドン留学中の生活などを題材としています。
短編というよりまさに小品と呼ぶのが相応しい25編が収録されています。
そのうちから今回は、「柿」を取り上げました。
この作品は、10分もかからずに読めます。
ネットで調べたところ、朗読としても取り上げられているようです。
なかなかほのぼのとした読後感があります。

あらすじは、以下のとおりです。

喜いちゃんは、お母さん、お祖母さん、下女よしといつも家で遊んでいる。
父親は銀行のお役人で周りの家とは馴染まない。
大工さん、鋳掛屋さんが住むこの町では喜いちゃんはほかの子とは遊ばせてくれない。
家の裏で喜いちゃん は遊ぶが、生垣があり3尺ほどの崖の向こうには長屋がある。
生垣から喜いちゃんは、長屋の方を覗いている。
大工の源坊が斧を研いでいる、誰かれが焼き芋を食べているなど、いちいちみんなに報告する。
そのたびにみんなが笑うのが喜いちゃんは得意である。
源坊の倅の与吉とたまに話をするが、直ぐに喧嘩になる。
喜いちゃんが毬を下に落としたら、与吉が拾ってしまい返してくれない。
仕返しに喜いちゃんは柿を用意して、それを欲しがる与吉にあげる。
与吉は柿をがぶりと食べて顔をしかめ吐き出し、渋柿を喜いちゃんに放り投げる。
食いしん坊と叫びながら、家に逃げ込むと、家ではどっと笑い声が聞こえた。

本書より以下を引用します。
(夏目 漱石. 永日小品.青空文庫. Kindle 版より)

〇毬を返してくれない個所から

詫 まれ、 詫 まっ たら 返し て やる と 云う。 喜 い ちゃ ん は、 誰 が 詫 まる もの か、 泥棒 と 云っ た まま、 裁縫 を し て いる 御 母さん の 傍 へ 来 て 泣き 出し た。 御 母さん は むき に なっ て、 表 向 よしを 取り に やる と、 与吉 の 御袋 が どうも 御 気の毒 さま と 云っ たぎり で 毬 は とうとう 喜 い ちゃ ん の 手 に 帰ら なかっ た。

〇最後の箇所から

その 時 与 吉 の 鼻 の 穴 が 震える よう に 動い た。 厚い 唇 が 右 の 方 に 歪ん だ。 そうして、 食い かい た 柿 の 一片 を ぺっと 吐い た。 そうして 懸命 の 憎悪 を 眸 の 裏 に 萃 め て、 渋い や、 こんな もの と 云い ながら、 手 に 持っ た 柿 を、 喜 い ちゃん に 放り つけ た。 柿 は 喜 い ちゃ ん の 頭 を 通り越し て 裏 の 物置 に 当っ た。 喜 い ちゃ ん は、 や あい 食 辛抱 と 云い ながら、 走 け 出し て 家 へ 這入っ た。 しばらく する と 喜 い ちゃ ん の 家 で 大きな 笑声 が 聞え た。

喜いちゃんと与吉との子どもどうしのやり取りが、リアルに、かつ面白く描かれています。
漱石がこのような情景を巧みに表現できることに意外な感じを受けます。
しかし、処女作「吾輩は猫である」をはじめ「坊ちゃん」などは可笑しみがありますから、そのような素地はあります。
たまたま「彼岸過迄」、「行人」、「こころ」とj読みつないできた後に読むと意外なものに感じてしまうのでしょう。
漱石の多才ぶりが躍如としています。

この小品は、明治42年(1909年)に発表された作品です。
この子どもの関係性を読むと、喧嘩はしますが残酷さや悲惨さは微塵もありません。
また、親も子どもの喧嘩には介入しないといったj情景が伺えて面白いです。
翻って、現今の子供たちの関係はどうでしょうか。
報道でよく目にするのは、集団による苛めです。
ひとりの子を集団でのけ者にしたりする特質性です。
なぜそのような状況になってしまったのか、心が痛みます。

今後もこの作品が朗読され、子どもや父母に聞いてもらえる機会が増えることを期待しています。


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