夏目漱石「硝子戸の中」
「硝子戸の中」は、漱石自身の生い立ちや身辺雑記が題材です。
「道草」は小説ですが、自身のことを描いていますので重なる部分もあるようです。
(「道草」の感想文は、note記事に投稿していますので興味ある方は覗いてみてください。)
漱石の人柄が、素直に表現されているようで大変に興味深く感じられました。
人格形成に大きな影響を与えたものは、その生い立ちでしょうか。
生まれてすぐに里子に出され、さらに4歳で他家の養子となり、8か9歳で実家に戻り、という生い立ちですから、どう考えてみても恵まれた育てられ方ではないようです。
両親の愛情を一身に受けながらという環境とは程遠いように思われます。
印象に残った箇所の概要を以下に記します。
①女の告白を聞いて
近所に住む女が訪ねてきて4、5回会って話をした。
始めは自身の著作のことであったが、最後に女の身の上話を聞くこととなった。
それは大変に悲惨な話で、生きるか死ぬかを迫られているような苦境だった。
しかし、自分はどうすることもできない傍観者である。
女を見送った後に次のような心情をもった。
(夏目 漱石. 硝子戸の中. 青空文庫. Kindle 版. から引用します。以下同じ。)
➁出生の秘密を聞いて
自身は本当の両親を祖父と祖母として思い込んでいた。
両親もお爺さん、お婆さんと呼ばれても澄ました顔をしていた。
あるとき、座敷でひとり寝ていると、当たりが真っ暗ななか、枕元で小さな声を出して名前を呼ぶものがいる。
家の下女が耳元で次のように囁いた。
(以下に引用します。)
①の漱石は、悲惨な話を聞きながら「人間らしい好い心持を久しぶりに経験した」と記しています。
これを読んで面白いと思いました。
女の話の中に人間的な苦しみを見出して、まったく状況は異なりますが、漱石自身に共感するものがあったのかもしれません。
大変な人生だなと暗い気持ちにさせられるのではなく、良い心持がしたとは自身の心情に対してもまっすぐに真実を見ようとしているからではないでしょうか。
➁の下女から事実を告げられる場面の幼い漱石は、それ自体がうれしかったのではなくて、下女の愛情がうれしかったのです。
この箇所を読んだときに「坊ちゃん」の冒頭に登場する下女の清を思い起こしました。
わたしは「坊ちゃん」のその個所、清に対する愛情ある表現が大好きで、いままでに何回も読み返しました。
「硝子戸の中」の筆を置くにあたって、漱石は次のように記しています。
ルソーの「告白」を読んだときに、本人は事実を記すと書いてありましたが、それはなかなかに難しいものだと感じました。
どのように書いたとしても、上記のように「本当の事実は人間の力で叙述できるものではない」と思われます。
わたしの読後感としては、たしかに漱自身の欠点などをあからさまにしてはいないかもしれませんが、できるだけ自身を客観視して描いているように思います。
漱石の真摯な気持ちを感じ、気持ちよく読み終わりました。