#不思議系小説 ぷにぷにのいるくらし

幼い子供の白いほっぺた
つるつるすべすべ
ぷにぷにのほっぺた
きょろりとした黒眼がちな瞳
黒くもじゃもじゃの頭髪
甘酸っぱいにおいがする
むちむちの手足
小さな手のひら
言葉にならない声
酸味のきついよだれの滴のなかで
逆さまになった世界にうつる
身長40メートルの赤ん坊

 がしゃん、と、どきゃん、の混じったような激しく鈍い音がした。鏡が割れる音だった。
粉々に砕けて、鏡面だけじゃなく台座まで完全にひしゃげて潰れて無残な有様だった。
 首が痛い、首と後頭部の付け根の奥から右側の肩、三角筋にかけて白くビシっと固まったような感触がする。頭痛を脳の中で具現化すると痛みが引いてゆく、という話を聞いて以来、どこかが痛むとそのイメージを具現化する癖がついてしまった。
 が、今も頭痛は引かないし、何ならこの体も心も記憶も痛まない場所の方が少ないくらいだし、いったい自分は今、何色になっているのだろう。
 もはや原型をとどめず地面に広がり、青い空の小さな破片を散りばめたようになった鏡の残骸を呆然と見つめて、痛む額にしかめた顔がそこに無数に反射して。

夢中で遊ぶ幼子の横顔
うにゃうにゃとひとりごと
ぷにぷにのいるくらし
目の前に広がっているのは
八畳間の大宇宙
銀河鉄道のレールが伸びる
黄色い新幹線が走る
月と星と畳のへりと
澄んだ眼差しの向こうへ
黒目がちな瞳のトンネルを
通り抜けたらまた宇宙
うにゃうにゃとひとりごと
ぷにぷにのいるくらし

 大したことじゃ全然ないんだ。とりとめのない話なんだ。だけど今、君に話さなければ、きっと忘れてしまうんだ。そのくらいの話を、今日も君に聞いて欲しくて。
 偶然通った道が踏切の跡で、線路だけ残してコンクリートで埋めていた。近くに廃止された路線の駅跡地もあるんだってさ。コンクリートに埋められたままの二本のレールがそこだけ残ってて、誰かの家の玄関に向かってるみたいに見えた。

 それだけのこと──

 こんなつまらない話、きっと君にしか聞かせられない。君だけが聞いていてくれたこと。君にしか話せなかったことが、今日も道路に転がったまま夜が来て、朝になったら消えてしまう。そういうキノコみたいなものなんだ。
 誰も知らないところで、僕の記憶の裏庭で、ずっと繰り返しているんだ。
 そうキノコヒトヨタケっていうんだ。
 子供の頃、近所の駐車場の片隅に生えていたのを見つけたことがある。白くて綺麗なキノコなんだ。
 タマゴ型のカサがあって、細い茎がひょろっと伸びてる。でも、次の日の朝見に行ったらそれはもう無残な姿になっていてね。
 黒ずんで、どろどろに溶けてしまっているんだ。
 見る影もないとはこのことで、さらにその日の夕方、次の日の朝とどんどん崩れていく。いちばん綺麗なときを見てしまったから、あとは崩れていくだけだったとしても。そんなに早いと思わないじゃないか。

 あとで理由も理屈もわかったところで、あの日の無常さ、もの悲しさが裏付けられるだけで消えてくれるわけじゃない。
 そういうものだ、と思って自分のアタマのなかの図鑑が一ページ増えるだけさ。ヒトヨタケは溶けてしまっても、そのことだけはずっと忘れないでいたんだ。
 君と話していて、久しぶりに思い出したのさ。

お腹を出して
眠る幼子を見ていた
夢を見ているのか
ときどきヘヘッと笑う
柔らかな表情と
おだやかな呼吸が
この平和な時間をいつまでも過ごしたいと
この貴重な瞬間がいつまでも続くようにと
まるで今がいちばん幸せであるかのように
錯覚させる
育ち、学び、伸びて行くことが怖くて
いつかここを巣立って
どこか遠くへゆくのだと
決めつけて
寝ている頬をそっとつまんで
人差し指と中指の背の部分に
ぷにぷにを感じてみる
やわらかい。そして表面はすべすべしているが、内側は確かに温かい。子供は体温が高いというが本当だな、と少し肌寒い夜更けに思う。

 子供は、可愛い。だけど、まるで陰湿な巨獣のように感じる日もある。
 それでいい。自分だってそうだったし、それをどうすればいいか、なんて誰にもわからない。正解なんてないんだから、恐れるのも怖いのも不安も焦りも苛立ちも、全部本当の事だし、それが当たり前なんだ。
 だからそれを何かのせいにしたり、ことさら自分を責めたりする必要はなく、そういうものだと思うしかない。それでいいんだ。幾ら大人であっても、何もできないし、わからないことはあるもんだ。
 こんな小さな命ひとつの前に、こんな無力な自分が居る。
 それが認められなくて、力の弱い者に向かってイキったりエバったり殴ったり蹴ったりする奴っていると思う。
 みんながみんなそうじゃないけど、みんながみんなそうじゃない、を隠れ蓑にして自分だけは都合よく立ち振る舞ってカッコイイ事だけ言って、何かを築き成し遂げた気になっている。
 そんな奴が一番貧しくて、カッコ悪い。
 後にも何も残らない。虚像のプライドだけが膨れ上がって、今にも崩れそうなのを必死でこらえているだけだ。
 そうこうしている間に、周囲の人間はみな成長しているし、羽ばたいてゆく。自分が必死でイキっていた場所が実に小さなものだったと気づいたときには、その小さな場所でお望み通り一番になれてる。他に誰もいなくなるから。

寝ぼけたままで
うにうに動く
小さなてのひら
短いゆびたちが
力なくつかんだ
それで止まった気がした
戻ってこられた
そんな気がした
ぷにぷにのいるくらし

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