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【キベラスラム】 スタディツアーに参加して学んだこと スラムのリアル編

◎はじめに


2022年2月3日 

早川さんのガイドの下、遂にキベラスラムを訪問させて頂きました。

今回のツアーには自分を含めた8人の日本人が参加しました。
そして、早川さん、マゴソスクール教頭のオギラ先生、マゴソスクールOBでモイ大学3年生のジョンソン君が案内をしてくれました。


今回のツアーでは、キベラスラムを歩き回り、様々な人や建物、風景に触れました。そして、マゴソスクール訪問、3組の家庭訪問を行い「スラムに生きることのリアル」に触れさせて頂くことが出来ました。

そこには、アフリカらしく強く優しい人びとが沢山いました。

それと同時に、社会の歪によって非のない人々が日々苦しみ絶望しながら生きる、という筆舌し難い宿命と戦い続ける人びとの姿がありました。

私自身は、キベラスラムの人びとと触れ合う経験を通じて、自分が追い求めたいと思う人生のビジョンの原体験をさせて頂くことが出来ました。


この1日で、思い感じたことがあまりにも多すぎて、上手く纏められる自信はありませんが、最後まで読んで頂けると幸いです。

◎キベラスラム 概要


 キベラスラムは、ナイロビの中心地から南西に車で20〜30分程の地区に位置しています。
 規模は2.5㎢程度で、その狭い土地に200万人ほどがひしめきあって暮らしています。(Wiki参照)

 現在、キベラスラムがある土地は元々「ヌビア人」という人びとが、徴兵によって強制的にナイロビに連れて来られた時、住処として与えられた場所だったようです。

 それが後に、農村から都会へ仕事を求めて出てきたものの、仕事を見つけられず金銭的に苦しくなった人が集まる場所として規模を拡大していきました。

 規模拡大を危険視した政府は、キベラスラムに対し度々立ち退き命令を下します。しかし、命令に抵抗する為に、住民たちは更に家を建て、住居人を増やしていきました。

 従って、キベラスラムが大規模になった原因は、単に格差が拡大した、というだけでなく、住民たちによる権力者への抵抗の意思表示でもあるわけなのです。

◎キベラスラムで感じたこと(住居回り、生活環境)


 キベラスラムの代表的な住居は、長屋に土壁、屋根やトタン板という作りでした。

 狭い土地に大勢の人がひしめきあっている為、当然1世帯当たりのスペースは非常に小さかったです。
※アパートのワンルームで家族全員(5〜8人程度)が寝食を共にしているイメージです。

高台から望むキベラスラム

因みに1部屋の家賃は3,000〜4.000円程度/月のようです。
多くの世帯は平均月収が10.000円前後の為、家賃は中々厳しい金額であることが伺えます。

 狭い通路には所狭しとゴミが捨てられていて、ほとんどの場所で腐乱臭を感じました。

 また、どこもかしこも老若男女問わず人が多く、特に子どもたちの多さは印象に残っています。

 そんな環境で人はどうやって生活しているんだ?と疑問に思うかもしれません。ですが、キベラの中は様々なショップが並んでいて意外と便利なのです。

八百屋、携帯ショップ、キオスク、雑貨屋、服屋、靴屋、床屋、公共のシャワーやトイレ、御飯処、寝具ショップなど。

これらは全て、キベラスラムの中にある店の数々です。恐らく、上記にはないジャンルの店もあるでしょう。

線路を挟んだ向かい側にはゴルフ場がある
右目にはスラム、左目にはゴルフ場という光景に人は何を思うのか。


▲収入源


彼らの収入源は大きく分けて2つです。

① 上記のようなショップを自ら経営する。
② スラムの外で職を見つける。

 ①では、収益はピンキリのようですが、余裕のある生活が出来る程稼ぐことが出来る人は本当にごくわずかのようです。

 ②では、ナイロビの市内に出て仕事をする為、交通費が必要になります。ですが、多くの人が交通費を捻出できる程の収入を稼げない為、職場まで歩いていく人がほとんどのようです。
 中には、往復4時間歩いて通う人もいるそうです。そして稼げる額が月10,000円程度。(因みにケニアの最低賃金は14.000円らしい)

 また、コロナの被害はキベラでも甚大で、多くの人がコロナ失業に遭い、収入減を失ってしまったそうです。

 これらの事実から、多くの人が経済的に苦しい状況に立たされていることを強く感じました。

 現実問題、非常に苦しい生活を強いられているキベラの人びと。そのことをよく理解している大人たち。にも関わらず、アフリカの人らしく、明るく優しく接してくれる姿にとても感動しました。ですが、目の奥にある暗さややるせなさ、何より現実に対して絶望感を滲ませる発言の数々は深く胸に突き刺さりました。


▲マゴソスクール訪問


 その後、マゴソスクールというキベラスラム内にある小学校に相当する学校を訪問させて頂きました。

 マゴソスクールは、リリアンさんというキベラ出身の方がキベラの子どもたちを虐待やネグレクト、極度の貧困による問題から守り、同時に教育機会を設けたい、との思いで設立した小学校です。

 また、教職員も全て、キベラスラム在住の人びとのようで、子どもにとっても大人にとっても困った時の「駆け込み寺」のような存在です。
 因みに早川さんはリリアンさんの古くからの友人のようで、現在は理事長的な立ち位置でマゴソスクールを支えているようです。

 現在、マゴソスクールには小学校1〜8年生まで、500人近くの児童が在籍しています。
(ケニアの教育システムは8・4・4制の為、小学生は8年まである)


 校門をくぐると、直ぐに沢山の児童が歓迎をしてくれました。そして、校庭に全ての生徒が集い、歓迎の歌や演目を披露してくれました。

 キラキラと輝く表情や明るく力強い歌声は正に「21世紀の宝」であると感じました。

歓迎の歌を披露してくれた子どもたち
子どもたちを盛り上げる校長&教頭先生


 その後、授業風景も見学させて頂きました。

 そこでは、自身の将来の夢を掴み取る為に必死に勉学に励む子どもたちの姿がありました。苦難と戦いながら、努力を怠らない姿には頭が下がります。

 また、多くの子どもたちが自己紹介をしてくれました。その際、名前学年を言うだけでなく、全員が将来の夢を話してくれました。

先生、医者、パイロット、エンジニアetc.

真っすぐな瞳で夢を語る姿は何とも健気でした。夢を持つことの素晴らしさ、尊さを感じさせてくれました。

絶対に夢を叶えてほしい。いや、絶対に叶えることが出来る!

来年高校受験を控えている8年生のみんな
物理と数学を教えてくれた!


 マゴソスクールの児童1人ひとりにはそれぞれ異なった背景があります。ここまで何も問題なく、不自由なく過ごしてきた児童は1人としていないかもしれません。。家庭内の問題、貧しさ故に起きる問題、それらは、幼い子どもにとってはあまりに辛く、苦しいことかもしれません。

 ですが、スラムにいる子どもたちは、私たちの子どもの頃と同様に屈託なく笑います。無邪気に友達と遊びます。そして、夢を実現する為にひたむきな努力をしています。

 その事実に対し、スラムだから可哀そう、アフリカだから可哀そうという感情は必要でしょうか。

 その答えは、私には分かりません。ですが、彼らの純粋な心、思いやりの心、勉学に対する向上心は尊敬し、見習うべきだと思っています。彼らが持っているものは、私にはない。そのように強く感じました。

全校生徒と記念撮影


 因みに、マゴソスクールには「マゴソスクールを支える会」という団体があります。

 この団体は、マゴソスクールを長年支えているだけでなく、私たちがマゴソスクールを直接支援できるようにパイプ役を担う活動もしています。

もし、興味のある方は是非下記HPをご参照ください。

http://magoso.jp/


▲家庭訪問 ①


 マゴソスクールを訪ねた後、3組のご家庭を訪問させて頂きました。
個人的には、この家庭訪問での語らいが最も心に残ることが多かった時間だったため、長くなってしまうかもしれませんが、読んで頂けると幸いです。

 1組目のご家庭は、お母さんがシングルマザーとして、6人のお子さんを育てていました。6人のうち、3人は教育からドロップアウトしてしまい、現在は地方で暮らしているようです。下の3人は学校に通い、勉学に励んでいるといます。

 元々、住み込みの家政婦として働いていたそうですが、コロナの影響でオーナーが自国に帰国してしまい、職を失ってしまいました。

 そして、現在は働きすぎの弊害で身体を壊してしまい、満足に働けていないとのことでした。その為、収入源は本当に限られていて、現在学校に通っている3人の教育費や皆の生活費を捻出するのに非常に苦労していました。

Q&A抜粋

Q. 生きていて、楽しいと思う瞬間はありますか?

A. 
ほとんどない。毎日が地獄のように苦しい日々。でも、子どもたちがいてくれるおかげで生きる活力が湧いてくる。どんな困難でも、子どもたちの為を思えば立ち向かっていける。

Q. 子どもたちが大人として社会に出ていく10年、20年後、ケニアはどのような国でいてほしいですか?

A. 
平和でいてくれればいい。平和とは、皆が調和し、手を取り合って助け合っている社会。格差のない社会。それだけでいい。


▲家庭訪問 ②


こちらのご家庭も女手1つで、5人の子どもたちを育てていました。

お母さんは子どもたちの学費と生活費を稼ぐため、毎日往復4時間歩いて、家政婦の仕事をしています。週6日働いて、給料は10.000円程度/月。

 長女が優秀な看護大学への入学を決めたが、学費が高すぎて払えるか分からないとのことでした。因みにその大学は頭金10.000円、年間80.000円程度かかるみたいです。

 お母さんはその事実を聞いて呆然としてしまいました。しかし、直ぐに前を向いて頑張ろうと決意していました。

それは何故か。

子どもたちがいるからです。子どもたちの未来の為に教育を受けさせたい、その一心で折れそうな心を繋ぎ止め、日々絶望と闘い続けていました。


▲家庭訪問 ③


 最後のご家庭は、この日ずっと同行してくれたオギラ教頭先生のお宅でした。

 オギラ先生もキベラスラムで生まれ、孤児として弟たちの面倒を見ながら育ってきた苦労人です。現在は、奥さんと子どもたち、虐待から保護した子ども、そして弟と共に、1部屋で生活しています。

 オギラ先生は本当に優しく、面倒見の良い方なので、キベラスラムでは有名人で皆から好かれ、頼られています。

 そんなオギラ先生の元には、毎日のように助けを求め、人が集まって来ます。オギラ先生は1人として拒むことなく、親身に話を聞き、それぞれの問題に共に向き合ってくれる方です。

そんなオギラ先生だからこそのエピソードがあります。

 オギラ先生は、自分の稼ぎを全て人の為に使うそうです。一銭残らず全てです。誰よりも人を大切にするからこそ、自分の稼ぎを周りに還元する。だからオギラ先生は貧乏なんだそうです。

 ですが、決して悲壮感は見せません。私たちのことを誰よりも明るく、温かく歓迎してくれました。そして、誰よりも優しい目をしていました。まるでアンパンマンのような方です。

 そんなオギラ先生は、何度か来日したことがあり、日本が大好きなようです。理由は、看護師さんが凄く優しく寄り添ってくれた経験があること。そして、食べ物を粗末にしない国民性に惹かれたようです。

 なんだかんだで日本を好きになってくれたオギラ先生は日本語の勉強をしています。今度日本語試験があるみたいです。ベストを尽くせるように祈ってます。


◎家庭訪問を受け考えたこと


家庭訪問を受けて考えたことは大きく2つあります。

1つ目は社会に対する強い憤り、2つ目はキベラに住む人びとの心の美しさです。


▲社会に対する憤り


ケニアの政治家の給料をご存じですか?

 1番位の低い政治家で43万円/月貰っているそうです。43万円と聞いて、そこそこ貰っているな、くらいに思うかもしれません。もし、国民の為に身を粉にして働いてくれていたとするならば、安いくらいですよね。

ですが、実態はそんなに綺麗なものではありません。

 ケニアの政治家は基本的に怠惰です。富裕層にとって利のある政策ばかりします。国民が必死に働き納税した税金は、政治家の私利私欲に吸い込まれていくのです。

 政治家は税金を使ってパーティをします。子どもの私立大学の学費、留学費を払う為に使います。

 貧困層の生活や教育制度などそっちのけです。

 子どもの学費1万円を捻出する為に何時間も歩き、重労働をしている人びとが大勢いるにもかかわらず、です。

 元々イギリスがケニアに階級を持ち込み格差が生まれました。ですが、格差の溝を膨らませたのは、紛れもなく私利私欲に走った極々1部のケニア人です。

なんて歪んだ世界なのでしょうか。

人間は何故、地位を手に入れると思いやりを失うのでしょうか。

なぜ、同じ国民の苦しみに気付いてあげることができないのでしょうか。

どうして、純粋に教育を欲し、普通の生活を送ることだけを願う人たちが、想像を絶する苦痛を味わい続けなければいけないのでしょうか。

家庭訪問でお母さんやオギラ先生の話を聞いているとき、上記のようなことを考え、涙が出る程悔しく、憤りを感じました。

腐った政治をする政治家に対して、そしてこの格差に対して何もできない自分自身に対して、です。


▲キベラスラムに住む人びとの心の美しさ


憤りと同時に抱いた感情は、キベラに住む人びとの美しい心に対する尊敬です。

彼らには素晴らしい共通点がありました。

 それは、苦境に立たされた時こそ、常に子どもや大切な仲間という、自分以外の誰かの為に頑張ろうと利他の精神で前を向き続けていること。

 そして、全くの部外者である私たちを温かく歓迎してくれた上に、訪問してくれたことに感謝をしてくれる心の強さであり優しさです。


 私は、人間の真価が問われるのは追い詰められた時、苦境に立たされた時だと思っています。

 外的要因により、全く落ち度がないのに人生どん底まで突き落とされ、明日生きる為の収入を稼ぐ。そんな生活をしているキベラの人々は、正に苦境に立たされている状態だと思います。

 ですが、その状況を誰かのせいにして嘆いたり、悲観したりはしませんでした。むしろ、自分が苦しい状況の時こそ、明るく振る舞い、笑顔を見せ、そして大切な人の為を思い力をふり絞っていました。

 原動力はいつだって、大切な家族や仲間の幸福、大好きな子どもたちの未来でした。

 辛い現実を初対面の私たちに沢山話してくれた後、彼女たちは「来てくれてありがとう」「お話を聞いてくれてありがとう」「あなたたちのおかげで元気が出た」と言ってくれました。

 なんて素晴らしい人格なのでしょうか。私だったら同じことが言えるだろうか。

 創立者は常に「世界はアフリカから学ばなければいけない」と仰せになります。

 私は、アフリカから学ぶべきことは、このように窮地に陥っても誰かに愛情を注げる心の広さ。大切な人の為に身を削る優しさ。大切な人の為なら決して倒れない強さ。ではないかと思いました。

 学問に沿って言えば、資本主義にありがちな際限のない欲望を持たず、環境や他者への配慮を持ち、最低限の裕福を求める社会主義的な姿勢です。


 このような素晴らしい人格を持ち、日々愚直に生き抜くキベラの人びとが幸せになれない世界があっていいのでしょうか。

 私欲に走る人びとばかりが肥え、キベラのように社会的に弱い立場の人が更に苦しい想いをしなければならない。そして、裕福な人は弱者のSOSに目を逸らす。そんな社会を生きて胸を張れるでしょうか。

少なくとも、私はそのような社会に納得はできません。

一番苦労した人が、一番幸せになる権利がある。私はそう信じています。

◎私の決意


 上記のように、私はこの一日で腐った社会構造に激しく憤り、苦境に立ちながらも、大切な人を想い、力強くも優しく生きるキベラの人びとに深く深く感動しました。

 同時に、キベラスラムの人たちのように理不尽な苦労を強いられている人びとが苦しみから解放され、心から幸福を感じられる世界を作っていかなければいけないと感じました。

 その主体となれるのは今を生きるキベラスラムの人であり、現実を目の当たりにした私たち自身だと思います。


 現実を見た以上、見て見ぬふりは出来ない性分なので、家庭訪問の折に勝手ながら決意を述べさせて頂きました。

  • 一生懸命に頑張っている人たちが、必ず報われる世界

  • 生まれや境遇に左右されることなく、誰もが本気の挑戦をすることが出来る世界

  • 理不尽に泣く人ではなく、調和に笑う人で溢れる世界

を築くことに全力を注ぐことです。

 キベラで出会った子どもたちの笑顔を忘れない。その笑顔を絶対に守り抜く。

 そして、キベラで出会った大人の切なく、憔悴した表情を忘れない。そして、そんな表情をする人を絶対笑顔に変える。

 その為に私は何が出来るのか。残りの留学期間、そして生涯考え続け、行動を起こし続けていきます。

◎おわりに


 キベラスラムで暮らす人びとの生活環境は厳しいと言わざるを得ません。

 ですが、そこに住む子どもたちは誰よりもキラキラ輝く笑顔を見せてくれました。

 そこに住む大人たちは、絶望的な現実から目を背けないどころか、日々大切な人の為に命を燃やして戦っています。そして、誰にでも優しく、明るく受け入れてくれる素晴らしい人間性を持っています。

 その為、私はキベラスラムを可哀そうな人たち、とは決して思いません。

 むしろ、物質主義に溺れ、富を得ても心は貧しくなるばかりの現代人にとって、人間らしい人格を取り戻す為の最高のお手本であると確信してます。

 私は、キベラスラムで出会った人たちを心から尊敬しています。だから、彼らの未来の為に自分に出来ることを全力で探し、命を使っていきたいと思います。


2022年 2月3日(木)
ケニア共和国 ナイロビ キベラスラムにて

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