働かないのは人として間違っているのか
すぐわかると思いますが、決して間違っていません。
というより、正しいとか間違っているとか、マルバツや白黒ではっきりさせることでもないでしょう。
「じゃあ働かなくてもいいんだね」に対してどう答えるか。今回はこれを考えてみようと思います。
働くことについて考えるようになったきっかけ
私が今まで生きてきた人生、これまで生きてきた場所、つまり学校や職場では、
働かないという選択肢はなかったです。
誰かが明確にそう言ったわけではありませんが、同調圧力、空気感から勝手に子どもの時からそう思い込んでいました。
そんな環境でも疑問を持つようになったのは皮肉にも挫折したおかげです。
(暗黒の過去については過去記事参照)
働けなくなったおかげで働くことそのものについて疑問が湧きました。
「そんなに身を削ってまで働いた先に何があるというのか」
そこまでのことは誰も言っていませんが、
大人になったら仕事して稼ぐのが当たり前。自立しないと。家族のため。子どものため。
でもそう言っている人が亭主関白みたいに偉そうにしてるし、節約もしない。
みんながそうとは言わないが、そういうこともある。
何か違わない?
お金を稼ぐのはそんなに偉くて素晴らしいことで、
お金を稼いでいないのはそんなにだめなことなの?
家事育児をはじめとした給料が出ない仕事、他にもお金に換算できない価値ある仕事もたくさんあるのに?
そうした疑問が次々と湧き始め、より良い働き方、生き方を探すようになりました。
働くことに疑問を持ちつつも反論できない
「働かずにどうやって生きていくんだ?」
最初はこれに対する別の答えを持ち合わせていませんでした。
「そんなの無理に決まっている」と決めつけていました。
ただ方法を知らなかっただけとも知らずに、そう思い込んでいました。
他の選択肢を考えもしませんでした。
自分の立場を何とか守ろうと、可能性を考え試してみることから逃げていただけでした。
自分がただ弱かった。だから働けなくなったわけですが。
結果的に働けなくなって立ち止まるしかなかったことが転機になりましたが、
ただ運が良かっただけだと思っています。
周りの人に支えられたおかげで、休養と再出発ができたからです。
さて、そこから自分が穏やかに過ごせる方法を、自分で調べて自分で考えるようになりました。働くことについて考え出したのもその頃からです。
今では「働く=正しい」の図式に疑問を持っています。
言葉の定義も考えてみました。
ここでの働くとは、お金を稼ぐこと、自立して生活することを意味していると考えられます。
正しいとは、それを続けると満足できる、幸せになれると考えられます。
これらを合わせると、
「働くことは正しい=お金を稼ぐと満足できて幸せになる」
と、もう少し形がはっきりしてきます。
この等式が成り立つなら、働くことは正しいことであると言えます。
概ね正しいのは間違いないでしょう。
でも、明らかに働き方によります。
ほどほどに働かないと、自由な時間を失う。慢性的にストレスを抱え、燃え尽きる。つまり不幸になる。
こうやって考えるまでもなくわかりきっていることです。
では、どんな働き方なら正しいと言えるか。
上で作った定義に合わせて言い換えると、
「どんな働き方をすると、満足して幸せだ」と思えるのか。
単純な答えですが、「ほどほどにぼちぼち働く」に辿り着きました。
週休三日とか、午前中だけとか。
そうすることで、仕事以外の他の価値観とのバランスを取ることができます。
趣味の時間が持てる。家族との時間が持てる。一人の時間が持てる。
重要なのはお金ではなく時間。というよりお金と時間のバランスでしょう。
働きすぎるとお金に偏りすぎて、時間が枯渇する。
だからほどほどに働いたら、お金と時間のいいバランスを保てるんじゃない?というわけです。
ただ一番の問題はどうやってそれを実現するか。
その方法こそが、少ないお金で穏やかに過ごせるようになることだと考えています。
合わせて投資もきっと役に立ちます。
基本は長期でほったらかしインデックスファンドを運用でいいと思いますが、
趣味感覚でトレードやってみるのもまた面白いです。良かったら覗いてみてください。
自分で投資をするとお金への感覚と理解がびっくりするほど深まります。
自己決定自己責任の態度も身につきますよ。
と言っても、これはあくまで一個人の意見ですので、
バリバリ働くことをまちがっていると否定するつもりはもちろんありません。
自分でそう決めたのなら、それでいいとも思います。そういうライフステージやタイミングもあるはずです。
ただ注意点として、承認欲求とかべき思考とかに引っ張られないように要注意ですよね。
働くことについて考えてみて得られた教訓
まだまだ道半ばではあるけれど、
「働かないのは間違っている」とも言い切れない。
そのことを示せる事例の一人になろうとして、今これを書いています。
働くことはなぜ正しいとされてきたのか、について深掘りしてみて気づいたこと。
もっと多様な生き方考え方があっていい。
人間は周りと違うことを恐れるので反対にもあいます。
自分でやっておきながら自分で不安にもなります。
それでも、それでいい。
もっといい働き方を見つけるために、あえてほどほどに働いてみる。
この選択肢が今の理想です。