自分を劣等感の塊だと信じて疑わなかった人間が、いつの間にか周りの人を尊重するのと同じように自分のことも扱えるようになったので、何をしたのか振り返ってみる
自分は劣等感の塊だ
確かに昔はそう思っていた
半分は自分がやってきたことに対する正当な評価だと思っていた
あと半分は謙虚な姿勢を作ることで自分をよく見せようとしていた
今思うと
それ、無駄ですから〜残念!!
って感じですね笑
魅力的な人間とは対極の印象にしかならないし
言い訳する自分を自分で作り出していたようなものだ
当然結果もついてこなかったはずだ
そんなしょうもない人間が
今ではなぜか周りの人を尊重するのと同じように
自分のことも人並みに扱うようになった
自己肯定感とか自尊感情とか
なんだかポジティブイメージ満載の生まれ変わった自分
みたいな感覚は全くない
そんなイメージはむしろ気持ち悪いし
見栄はってよく見せようとしるだけでしょ
って今でも思う
じゃあ今の感覚はどんなかというと
自分の中では「自己尊重」ってことばがなんだかしっくりくる
この言葉使ってる人誰かいるのかな?
少なくとも聞いたことはない
「自己尊重」って言葉でどんなイメージをしてるかというと
自分を大事にする感覚
これがわからない人でも
家族や友達を大事にする感覚
これはわかるでしょ
その感覚を周りの人にも自分にも向ける
ただそれだけ
嫌なことがあったら
それは大変だったね
って共感したくなるし
失敗したら
そんなの私もしょっちゅうだから気にしなくていいよ
また明日から頑張ればいいじゃん
って言いたくなるし
頑張ってたら
お疲れ〜
って声かけたりちょっと差し入れしたくなるし
仕事とか勉強とかサボってたら
めんどくさいことはさっさと終わらせて
終わったら遊びに行こうぜ〜
って一緒にちょっと頑張ろうと思うし
お祝いしたくなるとか
ちゃんと寝ないと体に悪いよ〜とか
美味しいもの食べにいこうよ〜とか
そんなごくごく普通のことを
自分に対してもしてるだけ
優しい人になりたいなら
自分にも優しくしないと変でしょ笑
だって自分も世の中の一部で
みんなとおんなじなんだから
自分はみんなと違って落ちこぼれなんだ
って思ってたんだけど
それも間違ってた
というより自分の勝手なものさし(基準)で
そう測っていただけだった
みんな全て価値ある命なのです
みたいな綺麗な考え方を正しいとするなら
自分だけ特別なのはおかしい
たとえ悪い意味でも
世の中はほぼ全て相対的だから
いいとか悪いとかも
その人の基準のものさしに照らし合わせた時に
そう見えるだけ
自分も周りの人も
ただそこにいるだけ
そういう真理としての意味でみんな同じ
だから自分が理想とするいい人として振る舞うように
自分を扱うのが自然な発想だと思う
このことはいろんな学びを組み合わせて実感できるようになったかな
アドラー心理学とか
原始仏教とか
瞑想とか
マインドフルネスとか
セルフコンパッションとか
相対性理論のこじつけとか笑
自分が大事だなあと思う感覚だから書き残してるだけだけど
もし
自分を大事にできない
と悩んでいる誰かの役に立てたら
これまで劣等感の塊でしょうもない自己像で生きてきたのも
無駄じゃなかったかもね
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