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パニック障害の戦いの記録

※7000文字弱あるのでゆったりしたときにどうぞ🙇‍♂️

パニック障害という言葉。
すっかり世間にも知れ渡っているとは思うが、実態というか、実際はどんなことが起きるのか?なんでそうなるのか?というところはまだまだ理解されていないような気もする。


なので、僕は僕で、いち経験者としてのことを書く。

正直いうと書くか悩んだ。でも同職業の方々もパニック障害を持っている方が少なからずいると知った。なので書こう、書いて1mmでも参考になればと。

補足だが、全員が書けるわけじゃない。僕は乗り越えたからであって、現在進行形で苦しんでいる人はこんなこと簡単に書けやしない。苦しいんだから。

そこだけご理解してほしい。
みんな、つらい思いをしている。

責める人はいないだろうが、どうか温かい目でみてほしい。

さて、では僕の経験談を。

■概要

15歳で解離性障害
17歳でパニック障害を発症している。
かなり早い部類だと思う。理由は後述。

当時はまだその言葉の意味がわかっていなかったし、今ほどポピュラーな名称でもなかった気がする。稀有な精神病みたいな感じで見られていたとも感じる。とにかくすごく嫌だった記憶がある。腫れ物に触るような扱いも受けた。

そこからだいたい20年間。この病と闘った記録。
苦しんでいる人にしてみればたいしたことではないが、誰かのためになれば。

あまりさらしておくものでもないので、そのうち有料記事としてハードルをつけさせていただく。それまでは無料で読めるようにしておきます。

■中学編


すべてのきっかけは父親が亡くなったこと。
15歳のときだった。

それ自体は誰でもいずれ経験することではあると思うが、なにせ若かった。
父も自分も。39歳と15歳。僕は僕で思春期真っ只中。しかも父親っ子。もう、絶望しかなかった。ワンピースではゴールドロジャーが「この世のすべてをそこに置いてきた」というが、僕の場合は「この世のすべてをここで失った」ような感じがした。

一家の大黒柱を失い、この先どうやって生きていけばいいとか、現実的なことではなく、自分の人生の指標を失ったような感覚。アイディンティティの喪失。生きる意味すらなくなったような感触。

そんな状況だが、友達には努めて明るく接していたとは思う。

でも友達は言う。「オマエ、心ここにあらずみたいな、なんか人間なんだけど、心を失ったような状態だったぞ」と。

おぅ…たしかに記憶はない。その頃、誰といて、誰と遊んでいたとか、一切の記憶がない。学校へは毎日親友と一緒に登校していて、毎朝うちによってから一緒にいくみたいな流れだったが、それは変わらずに続けてくれたのは覚えている。ちなみにこの親友は、自身の結婚式の際に、僕に署名?みたいなものを書かせてくれた。おれ、君になにもしてあげられていないんだが……。

そんなこんなで、辛いとか悲しいとか、そういうものはなかった。とにかく現実味がなかった印象。亡くなった直後も、周りは号泣してたが(当たり前だが)、自分はどうだったかというと病室の壁を蹴り飛ばして穴をあけたくらいしか覚えていない(すみません)。とにかく悔しかった。何もできなかった自分が悔しかった。それが今の職業につながっているわけだけど。

父は怖い存在で、数学で99点でも「1点足りねーじゃねーか!」とぶんなぐってくるレベルに教育には熱心だった。スポーツも1位以外は負け犬、妥協は許してくれない。典型的な昭和オヤジだったなと。でも、父親っ子だった。どれくらい好きだったかというと、こんなエピソードがある。

朝仕事に行くのが早かったので当然起きる時間も早い。なので別々に寝ていた。しかし寂しかったのか、僕は父の布団に潜り込んでいた(中1でもそんな感じ)。きっと父はウザかったであろう。でも拒否されたことはなかった気がする。

また、亡くなったとき、ずっと手握っていたのだが、ぬくもりを忘れたくなくて、手を洗うことはおろかお風呂すら入りたくなかった。
いい年齢した子どもだったけど、それくらい好きだった。

ちょっと話が前後したが、この時点ではまだ自分がパニック障害だとは気づいていない。そんな症状もなかった。問題は高校生になってから起こる。


■高校編

高校入学後、相も変わらず心失った状態だったらしい。らしいと書くのは、僕は高校生の時の記憶がほとんどない。人生の中で一番楽しいと言われている青春時代がすっぽり抜けきっているのである。でも、悲しいとすら思わない。高校生活そのものがよかったかすらわからないので。

通っていた学校は覚えているが、通学路は覚えていない。友達はいたけれど、高校生のときだけの友達は全く覚えていない。名前を言われてもかすかに出てくるかどうか…でも顔はまったくでてこない。彼女も計2人いた。そこはさすがに覚えてはいるが、1人目は名前は憶えていない。2人目は今考えてもめちゃくちゃいい子だった。自分にはもったいないくらい。すごく支えてもらった。悲しいのは遊んだ記憶がないということ。そして、2人目の彼女と付き合っていたときにパニック障害が発覚する。


細かい過程はよくわかんないのだけど、いきなり電話が鳴る(当時はまだスマホなんてなかったし、ガラケー時代だったが家電にかかってきた)。僕が出る。彼女の父親だ。なぜかキレ散らかしている。そこからはもうパニックになって全く覚えていない。その後学校にも連絡がいったらしく、後から担任から聞いた感じでは内容的には別にたいしたことではなく、なんなら「で?」みたいな内容だったらしい(いまだに教えてはもらっていない)。

付き合いも不純でもないし健全だったとは思う。そもそも不純ってなんだろうか……。それに仮にだ、何かあっても高校生なんだから多少のアレコレはあるだろうよ、昭和のバカ親父にバフかけた感じかよ…とは思う。

ただ……当時はわけわからない状態。真偽もわからない。なんたって質の悪いフリージャーナリストみたいに、こちらの話は一切聞かないような、ワンサイドゲーム展開。
そんな中、強烈な圧がトリガーになったのか自分の中でプチっと音がしたのがわかった。そこからはもうパニックになり覚えていない。そこで発覚したもう一つの強烈な事実「解離性障害」。要はもうひとり自分がいるってやつ。


「パニック障害」「解離性障害」(あと今でいう強迫性障害みたいなのも言われた記憶が……)いずれも病院に行ってちゃんと診断がついたものだけど、言われてみれば思い当たるふしがいくつもあった。パニックはもう症状として完全に出た。まず記憶がないところ。そしてなぜか周りの目が変わっていくこと。なんで?何もしていないのになぜこんな言われ方をしなければならない?ということが多々あった。これだったのかと。



そこからは大変。その親は電話じゃ飽き足らず学校には押し寄せてきたらしいし、警察沙汰にもなったらしい(見てない覚えてないからしらん)。子どもは退学させようとしたらしいし、なんなら一度のみならず次は学校祭にまで乗り込んできて僕を探して○そうとしていたらしいし(これは友達や教師が察知して僕を隠してくれたらしい)。
まあ、毒親もいいところ、今なら逮捕もんですよ、ブタ箱にでも入っとけレベル(ちなみにその父親は自衛隊員だったが、歪んだ正義感の塊みたいな感じ。中学では有名だったらしい。またまたちなみに僕の父親も自衛隊経験者だったが、コイツと違ってとんでもない身体能力モンスターだったらしい。今思うのは「カスがイキるなよw」ってことだけ)



そしてあまり記憶がない怒涛の高校生生活がおわる。

■大学編

そこから臨床検査技師になるべく、もっといえば細胞検査士になるべく大学に進学したわけだが、ここも最初のほうの記憶がない。

もちろん学習した内容は覚えている。ただ私生活は…高校のときに付き合っていた毒親持ちの彼女とは隠れてまだ付き合っていたらしいが、それもまあ覚えていない。もはや最後は自然消滅だったのだろう。
そこからしばらくして今の奥さんと付き合うことになる。

一時的とはいえ解離性障害の影響が薄まったのはこのころ。たぶん勉強が忙しすぎてそれどころじゃなかったのが幸いしたのか。いい学校生活を送れた。 学校生活後半はしっかり覚えている。
こう書くと「奥さんが良かったんじゃ?」となりそうなものである。365日ケンカ祭りだったし、同情なんぞされたことは一度もない。どころか「解離性障害?全然大変じゃないじゃん」みたいな冷徹な言葉を言い放ったことをいまでも覚えている。反骨心が強い自分にはハマったのかもしれないが、うーん、それが良かったかどうかはさておき。

あとはひたすらに勉強……国家試験……

あ、でも国家試験の前はスマブラやらポケモンやらしてたくらい余裕ではあった。 成績は良過ぎず、平凡すぎずという半端者であった。


■社会人編

ここからは現在進行形まで続くので、細かいことは省く。
それよりもどんな場面でまだ影響が残っているか?そしてどんな克服をしたか?というところに言及していこう。


正直なところ、大人になったからといってこれらの影響がまったくなくなったわけではなかった。 むしろ厄介なトラブルも起こしてくれた。

まずパニック障害の影響。
今はもうすっかりなくなったが、こんな場面で発作がおきていた。


・父親の入院していた病院の近くにいくと動悸がはじまる
(たぶんフラッシュバック的なやつ)
・電車などの狭い空間に閉じ込められると頭がグルグルしはじめる。自分の運転する車は大丈夫。(高校の時の学祭で隠れてたところが狭い空間だったらしくそれが呼び起こされるのか?)
・自衛隊員や関連するものをみると動悸がする。
(カスでイキリテイクかましてきたヤツのせい)


3大危ないシーンはこれら。今でも自衛隊員の部分は残っている。可能ならいまからでもこんな身体にしてくれたヤツをチリも残さないほどに抹殺したいくらいだ。FFならバニシュ+デス。ポケモンならハサミギロチン。いや、どくどくで徐々に苦しめるのもいいだろう。

まあそれはさておき。


そして解離性障害の影響。


・気づいたら周りが怯えていることがあった(たぶん闇遊戯的な人格がでてきたのであろう)
・自分が押し込められたときの記憶がかすかに残っているが手出しはできない
・当然周囲にわかってもらえないので言い訳すらできない
・そもそも自分でなんだ?と疑心暗鬼になる


ちなみにこれらの症状は今ではすっかりなくなった。
しかし数年前まで続いていたので、実に20年ほどに及ぶ長い格闘だった。
治るとは思っていなかった(今でもただ症状が隠れているだけなのかもしれないが治ったと信じている)


今現在残っているのはパニック障害の影響だけ。
決して自衛隊の方々は悪くないが、近づかないでほしい。あの迷彩服もダメ。なので嵐の櫻井君は好きだけど、迷彩は着ないでほしいと思っているw

たまに見かける車両も気分がよくない。とにかく存在自体がアウト。ごめんさない、自衛隊の方は悪くないんですよ。悪いのは全部、イキリテイクマン(もはや名前すら変わったw)


で、どう克服したのか?ってことについてみていこう。
たぶんここが今回のnoteの一番コアな部分かと思う。

■自分の核をみつめなおした


スピリチュアルなことではなく、何が今の自分にとって大事なことなのか?を考え直した。

そんなこと?と思われるかもしれないが、さまざまなシーンを想定することにもなるので、ともすれば何もないところでパニック発作が出るリスクもあった。すでに薬もない中、わりとリスキーな賭けだったなと思う。

結果、これらだった。

・仕事
・家族(といっても子ども)
・感情に流されないメンタル


まあ普通ではある。


仕事はとにかく一緒に働くメンバーを大事にしたい。そして患者さんを助けたい。自分が父を失ったときのような思いを、患者さんはもちろん、その家族にもさせたくない。こんな悔しい思いをするのは自分だけでいい。

そして家族。といっても子どもだが。子どもたちには楽しい人生を送ってほしい。そのためには父親である自分がしっかりしていないといけない。そして「こうなりたい」と思ってもらえる存在でなければいけない。そう、自分が父親が好きだったからこそ。

いまでは結果的に、母親からドライモンスターとも呼ばれるほどに逞しく成長した我がメンタル。苦しかった頃は感情先行型だった。感情論抜きでなんでも理屈で考えるため、心がなんと言おうとも「それって感想だよな?実際はなにも起きていないよな?」と考えるくせがついた。

パニックになったときは薬も服用したが、あまり薬が効くタイプではなかったのでわりと自然免疫療法に近い感じの経過だった。当時はその名称は知らなかったが認知行動療法も取り入れていた。
いまではもうメンタルひとつでどうにかできるまでになった。自衛隊がこようとも動悸こそするが、過度なパニックになることはない。口数が多くなり、自己防衛の姿にはなるが、それで済むようになった。

結局、自分にとって何が大事なのか?をとことん見つめたことがよかった。

20代のころ、日本海の海、沖縄の海、駿河湾の海で大自然と向き合って、ひとりで3時間、6時間とただぼーっと海を見ながら「自分はどうするべきなのか?」というアイデアが天から降ってくるのを待った。

これがよかった。

僕の場合はだけど、トラウマからきているので、自分が変わるしか道がないと悟った。正確には悟れた。乗り越えられたかどうかはわからないけど、これが本当の自分、闇遊戯くるならこいや!自衛隊?きても乗り越えてやらあ!!って感じになれた。

まあこれがいいかどうかはわからないし、パニック障害としても程度はいいほうだと思う。もっと苦しんでいる人がたくさんいる。

そういう意味では自分は運がよかった。
苦しい20年間だったけど、人生においては意味のある20年間だった思えるまでになったのは、ひとつ壁を乗り越えたというところで自分に満足はしている。

あと体力落ちるとメンタルも落ちるので、できる限りは運動もしていた。これも結果的にはいい選択肢ではあったと思う。


■周りに迷惑もかけたけど……


この件で周りにも迷惑をたくさんかけてしまった。
離れていってしまった人たちもいる。

当時は苦しかった。でも今はそういう運命だった、仕方ないことだったんだと割り切っている。自分の至らなさでもあったが、それは言ってしまえばお互い様な部分だってあるんだと思う。それが人間関係ってものだから。


こんな感じでパニック障害、解離性障害になっても、復活して仕事もバリバリできている人間がいる、実在するんだってことが誰かの背中を押すことにつながったら、医療従事者としても意味のあることかなと思って書いてみた。


時系列はできる限り揃えたつもりだけど、一筆書きなのでところどころ話が飛んでいるのはご容赦願いたい。

大事なのはイキリテイクマンを自分の中で倒したこと……ではなくて、自分と向き合えたことがすべてだったと思う。


僕の場合はお恥ずかしながら自分と向き合うのが怖ったから、海を見て天から降ってくるのを待った。別に神様を信仰しているわけじゃない。脳機能的にそうなるかなと思った結果である。


迷惑かけた方々、ごめんなさい。
でもこれがあるがまま生きたいと願った本当の僕なので。


■自分を信じよう   

パニック障害は治る!と言い切れないところはある。

だけど快方にはもっていける。それは確か。

自分を知ること。
そしてパターンを知ること。

経験上、これだけでもずいぶんと変わってくる。

あとは運要素もあるので、克服できない自分をダメだと思わないこと。ただ運が悪いこともある。性格もあるし、いろんなものが複雑に絡み合うことなので。

決して自分を否定しないこと。
これがポイント。


……

本当は『リーダーズノート』っていうコンテンツを作っていた最中、ふと目にした記事から「自分も経験者としてなにか発信しなければ」と謎の使命感をもって一心不乱になって書き殴った。

冒頭でも書いたが、どこかの、誰かの背中を押せることを願って。


だぴてぃ

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だぴてぃ
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