思考の柔軟性と勇気
あんたは鋼のメンタルなんつーもんを持ってたりするかい?
俺は頑固者のくせに豆腐のメンタルなんで、いつもグジグジいじけちまうんだよな。
ついでにオッサンゆえの涙腺の緩みから、毎日なんかしらを見ちゃあ涙を流している。
そんな俺がたまたま読ませてもらったnoteがある。
藤屋さんはこの記事の中でメンタルを弱くしているのは真面目さと思考の硬さだと書いてくれている。
真面目さも突き詰めていけば思考の硬さにつながっていきそうだから、思考の柔軟性を持っていきたいよねってことかな。
たしかに思考の柔軟性ってのを持っていることによって様々なことに対応出来る可能性を高める感覚があると思ったんだ。
そこでふと考える。
思考の柔軟性って鍛えられるのかな?
今回はメンタルの強弱について考えてみる回だ。
ちっと世の中のヒトについて考えてみようぜ。
メンタルが弱いと言うこと
あんたの身の回りにさ。
明らかに「このヒトメンタル豆腐だな」ってヒトっているかい?
いや、俺の印象だとさ。
みんなどうにかしながら、日々をそつなくこなしているって印象が強いんだよ。
もちろんメンタルに来ちまうことは誰にでもあるし、そいつをうまく処理出来ないことも普通にあるだろう。
でもそれをさ。
堂々と世の中に晒しているヒトって見たときあるか?
俺は見たことがない。
ネットでの発信で自分の弱さみたいなものを表現しているヒトはいっぱい見ているけれど、ホントの意味で弱点を周囲にさらけ出すことはヒトと言う生き物が社会で生き延びている以上は実現不可能だと思うのよ。
それが出来るとしたら、たぶんそのヒトは勇者だ。
メンタルが弱いと言うことをさらけ出すメンタルの強さを持っているってことになる。
な?矛盾しちまうんだよ。
そう考えると、俺たちは誰しもがメンタルの弱さを何処かに抱えながら、それを丁寧に隠して、ある程度のメンタルの強さを演出しながら生きているってわけだ。
思考の柔軟性
で、俺たちがメンタルの弱さを隠しながら強さを演出しているとしてだ。
その演出には藤屋さんは思考の柔軟性が必要だと分析してくれた。
確かに思考の柔軟性ってのは必要な感じがするよな。
で、考える。
思考の柔軟性ってなんだ?
よくよく考えてみるとだよ。
柔軟に「その場で」考える能力だって思うと思うんだけれど、それって実は「経験値」をどんだけ持っているかの勝負って話にならないか?
もうちっと正確に言えば自分の経験値の引き出しをいっぱい開けたり閉めたり出来るヒトってことになる気がするんだよ。
経験したことのないことは判断出来ないし、したように見えたとしても基本それはギャンブルか、判断したふりにしかならない気がするわけね。
柔軟性に必要なもの
で、ちょっと不思議じゃないか?
一般的に年齢を重ねると思考の柔軟性ってのを感じさせない言動をするヒトが多くなる気がするじゃんか。
年齢を重ねれば経験値は多くなるはずなのにさ。
これね。
俺の感覚だと勝負の結果を体験した数の多さが肝になるんだと思うんだよね。
なんかしらの判断をして、その結果として勝った負けたってのがついてくるじゃんか。
勝った場合はその時の判断の経験がしまわれている引き出しを頻繁に開けるようになる。
そりゃそうだ。なんつっても勝ったんだから。
その成功体験を繰り返すことで、もう一度勝利を得やすくなるとヒトは考える。
負けた場合はその判断の経験がしまわれている引き出しを二度と開けたくなくなるってのがヒトの性だろう。
そうして、本来は開けたり閉めたり出来る引き出しを持っていても、開けることが出来るものと出来ないものに別れていく。
もしかしたら、負けた経験から判断出来ることもあるはずなのにな。
こう考えるとだ。
柔軟な思考に必要なのは「負けた経験」の引き出しを定期的に開き直す勇気ってことなのかもしれないと思えてくるわけよ。
こいつは困ったぞ。
そんな勇気を持てている時点でメンタル強者じゃんか。
問題はそのメンタルを手に入れる目的なんだよな。
つまり、なんでそんな「負けた経験」なんてトラウマが入っている引き出しを開くのかってことだ。
たぶんさ。
あんたの大切なヒトのためだろ?
俺たちは大切な誰かのために、トラウマを日常に引っ張り出し続けながら、同時に成功の体験の引き出しを開ける。
その経験をミックスさせて、新しい引き出しにその結果をしまう。
これが柔軟な思考ってことなのかもしれないな。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは誰かのために勇気を持ってメンタルを強めることが出来ると思うかい?
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