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親戚関係の変質  

コロナ禍を経て家族葬が一般化した感がある。
会社などの組織体でも「葬儀は近親者で済ましました。香典等は辞退いたします。」と事後連絡される事がほとんどだ。

過去、組織では香典を取りまとめ、葬儀の手伝いなども割り振られた。
同じ職場の人の面識のない親の葬儀を手伝ったりする戸惑いがあったり、香典は何度も出したが、転勤などして、一方的に支出した感じだ。
自らの家族の場合には、時代が変化し、香典返しなど煩雑で、葬儀への関与を辞退している。
職場が同じというだけで、葬儀という個人事案に関与するというおかしな慣習が廃れたのは正常な気がする。

家族葬は核家族化と経済停滞とも不可分だ。
儀式に呼ぶ僧侶などに30〜50万の謝礼というのは今だ続いており、どうかと思う。
代替手段が創出されるなどして改善されてゆくのではないか。

ある書物に次の記述があった。
『祖父が死ぬると、古い親類は「じいさんの死んだことだし、親類のつきあいはやめにしよう」と何軒かの家から言ってきた。それでそういう家はまったく他人になっていったのである。親類は家についたものではあるが、同時にその家の主人、主婦についたもの、とくに老人の意志によることが多い。』
その通りだと思った。

地方においても共同体の解体、核家族化が進行しており、父母の親戚づきあいがどうなっているかを子は知らない。
子が都市部で働き、たまに帰省するなんて状況では、だれが親戚かもわからなかったりする。
そんな状態で親戚関係を維持するのは困難というより無理だろう。何ら個人的繋がりもないからだ。
世代が変わっても、形式的に冠婚葬祭への参加や金銭授受を継続する意味があるだろうか。

産業構造が変わって、農村の地域共同体や家制度も消滅しつつあるのだから、組織の慣習や親戚関係も変化して当然、自然な流れである。

古来からの行事、七五三、七夕、お月見、お宮参り、などは各家族の意思で、できる範囲で伝承してゆけばよい。

伝統は守るべきと思ってきたが、身近な親類関係を考えたら、冷静に俯瞰できた気がする。

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