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Walking with anger last night
昨夜、僕の実家へ遊びにいってくれた妻と息子を迎え、帰宅しました。
息子を寝かしつけ、お風呂に入る前に、夜の散歩に出かけました。
仕事のことを考えながら歩いていたら、ふと以前お客様から浴びせられた辛辣な言葉を思い出して、怒りが身体の底から勢いよく吹き出してきました。
僕は自分のことを温厚な性格で、負の感情をひきずらないタイプだと認識していますが、間違っていたようです。
温厚な性格も、自営業を営み、伝統的な慣習を重んじる昭和的価値観を色濃く残した家の長男として産まれたという境遇が大いに影響して、その外部環境を踏まえて取り繕っているものですし、本当は嫌だったことは割り切れずに、根に持つタイプなのかもしれません。
自分のことは、自分が一番分かっていないと言われるのは、きっと事実です。
その怒りは、約45分の散歩中ずっとおさまることはなく、むしろ今感じている怒りを次から次へと押し出すように奥底から怒りが湧き出してくる感覚でした。
同時にあの時に感じた怒りを僕はまだ消化できておらず、身体の奥底でこんなにも溜め込んでいたのだと驚きました。
とっくに頭の記憶からも、身体の記憶からも消し去られたものだと思っていましたので。
僕は、いまだにその相手のことを許せていないままだったのだと実感しました。
普段から内心怒ることはあります。
ただし、僕はなるべくそれを表面に出さないように振る舞っていますし、それを外に放出して消化するのではなく、自分の内面で溶かすイメージで消化しています。
例え僕を苛立たせるようなことが何か起きても、10分ほどあれば平常心に近づけられます。
そんな風に日々過ごしていますので、昨夜の怒りが掘り当てた温泉の水源のように次から次へと長時間にわたって湧き出してくるのは、久しぶりでした。
湧き出る温泉ではなく、噴火した火山のマグマのようにという表現のほうが適切ですね。
ふと我に返って、以前Webで読んだ記事が頭に浮かびました。
その記事は、要約すれば喜怒哀楽のすべてを満遍なく感じるほうが幸せなんだということが書かれていました。
誰しも、「喜」と「楽」を感じる機会をなるべく多く、「怒」と「哀」を感じる機会をなるべく少なくすることが、幸せにつながると考えがちだと思います。
もちろん僕もそう考えていました。
ところがその記事は、喜怒哀楽のすべてを満遍なく味わうほうが幸せにつながるんだと主張されていて、面くらったので記憶に残っていました。
その主張に従えば、たまには怒りながら散歩するのも、悪いことではないということになります。
「喜」と「楽」は、自然と感じる機会を求めますので、放っておいてもよさそうです。
「哀」の感情を感じる機会は、映画を見て創るのがよいかもしれません。
※喜怒哀楽のすべてを定期的に味わうほうが幸せにつながるという話は、以下の記事が参考になります。よろしければ、ご一読ください。
クリエイティブな仕事をするためには、怒りも不安も必要
https://www.froggy.money/3981/