保坂和志『プレーンソング』。猫と世界の肯定と何も起こらない日々
facebookでブックカバーチャレンジの依頼をいただいて、タイムラインで邪魔になるかと思って、こっちでひとまず7日分書いてみます。
おととい、NHKの「ネコメンタリー」って番組の過去の名作選をやっていて、保坂さんが出てた回が流れてた。
Youtubeにもありました。
※それまでずっとアップされてたのに、記事に引用したらそっこうで消されてるやんけ…。
代わりに、上記の「ネコメンタリー」でも使われていた川端康成文学賞の受賞コメントの動画をアップしときます。
猫のこともけっこう喋ってるし。
猫を猫として描く(えがく)
「プレーンソング」はストーリーらしいストーリーがなく、何気ない日常がたんたんと描かれるみたいに紹介されることが多いけど、そういったこととは別にというか、作者であるところ保坂さんはこの小説で革新的な挑戦をしています。
その一つが猫を比喩として使わず、「猫を猫として描く」ということ。
つまり、何かの象徴として猫を描かない、道具仕立てに登場させないということ。
(なにそれ?って感じかもしれないけど、小説では天候や自然、動物なんかが登場人物の内面のメタファーとして使われ、実際に保坂さんも『プレーンソング』でデビューした際に、「猫は何を表現しているのか?」とか「猫にもっと意味をもたせた方がいい」とかいわれたそうです)
もう一つは、「悲しいことは起きない話にする」ということ。
ただ、実際にやってみると「物事を叙述する文章というものがほとんど自動的に不幸の予感(または気配)を呼び寄せることに」気づき、ルールはどんどん先鋭化され、「悲しいことが起きそうな気配すら感じさせないように文章を書く」ってことになる。
(「ネガティブなものを以て文学」という風潮への反発的な。逆にいうと、小説という媒体にはネガティブな磁場が充満しているから、悲しい話とか感傷的な話の方が書きやすい)
ただ、そうした「磁場」を徹底的に拒絶する闘いをやった結果、
(前略)皮肉なことに、ほとんどの読者にはただ「平板」とか「眠たい感じ」としか受け取られなかった(まあしかし、異質なものを持ち込むというのはそういうことだから仕方がないけど)
だそうです。
これ読んだときにぼくはフィッシュマンズのことを思い出して、楽曲聴いたときに「ふわふわ」とか「浮遊感」とかいう人がけっこういてて、まあそれはそうなんだけど、佐藤伸治ほど気合の入ったストイックな人はいないわけで、
別な言い方をするとアントニオ猪木ばりに闘魂マインド全開の人で、判で押したように「ふわふわしてて気持ちいい」とかいわれると、ちょっと違和感を覚える。
(気持ちいいのはいいいんだけど)
で、なにが言いたいのかというと特に言いたいことなんかなにもないんだけど、「猫を猫として描く」というのは字面としてなんか楽しい。
世界の圧倒的な肯定
悲しいことが起きそうな気配すら感じさせない、ネガティブな磁場に抗うってことの先にあるのは、世界の圧倒的な肯定です。
ちなみに、上で紹介した「ネコメンタリー」で、「保坂さんにとって猫とは?」みたいな質問を受け、次のように答えています。
世界を説明するための入り口が俺にとって猫だから。
猫がいるから花の美しさがあり、冬の寒さもありっていう
世界を感知する存在があるから世界が輝けるとか。
猫の前にいると、何も考えていないというすごく大きな考えを教えてくれる。本当に。
ただそういうふうに、猫というのはいろんなものをもたらしてくれるというふうにいうと人には分かりやすいんだけれども、
何ももたらしてくれなかったとしても、非常に大いなるものがあるということまで猫は教えてくれる。
あと、たしか文芸評論家の渡部直己が、某大学かどこかでやってた文章教室で、すべのカリキュラムが終わった後に、
「今まで教えたことを全く使わなくても稀にいい小説が書ける」といって保坂さんの小説を紹介していたそうですw
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