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全部全部、消えてしまえ。

そういえば引用って勝手にしていいんですか? まあ気持ち的には引用RTみたいな感じです。
https://note.com/rexuisia/n/nce6f243c0ef1(あゆさんという方のnoteの記事です)
これを読んで思ったことがあったんです。そして同時に思い出した曲があったんです。
https://youtu.be/uQlPTVJSKAE(傘村トータさんの『15歳の主張』という曲です)

ここからはすごく個人的な話です。参考になんてならないと思うから、自己満で書いていこうかと思います。なのでここからの有益性はかなり低いです。個人の主観100%の言葉を連ねていくだけです。
上二つでも見て欲しいです。

思ったから書き始めてしまったのですが、消そうに消せません。どうしようかと思っていたら、有料にしようかと思っています。
有料の理由は読んでも有益ではないから。
うん。有益じゃないから有料ってなんだか不思議な感覚に今なっていますが、正しいとか正しくないとか妥当かどうかではなく、今の私はそういう選択を取ったってだけです。


中学は全体的にあんまり好きじゃなかった。
虐められていたとか一人ぼっちだったとか、そういうわけじゃなかったんですけど。友達はいましたよ。素敵な友達が。
ただ、ただすごく漠然と気に入らないことが多かったんです。ムカつくことが多かったんです。

大して仲の良くないあいつが話しかけてきたときにすごくイラついたことがずっと心に残っています。あの時の感情の起伏の激しさはどうして起きてしまったのだろうかと、客観的に見ると不思議です。だって普通に話しかけられただけ。私はそれに「うっさいな! どうでもいい!」って感じに答えた。すごく理不尽なことだなと思う。
友達にだったらあんなに声を荒げて言うことはないのに、なんでだかそいつはすごくイラついた。
でもイラついていた理由は分かってる。
そいつがいつも偉そうだったから。煩かったから。誰かを殴るから。ガキのくせにガキの中でしか強く見せられないくせにいきがってるから。
そういった理由だった。その時はこんな風に言語化していなかったけれど、私はそういう理由で、見ていていつもイライラしていた。
ああ、ちなみにそういうのはその子一人だったわけじゃないです。学校に割と同じような子たちはいました。その時の私は全員、嫌いでした。

何度「死ねばいいのに」と思ったか分かりません。「死ねばいいのに」という言葉を誰もいないところで実際に呟いてため息をついたことが一回だけありました。(記憶にあるのが一回だけで、もっとあるかもしれない)
何か、どこかで限界に感じていた時がありました。そしてこのイライラを誰も思っていないことにも苛立ってしまっていました。みんな大人だなって思いました。もしかしたら同じように思っていた人はいたかもしれないけれど、そんな話になったことはありません。
私から誰かに話すこともしませんでした。だって、自分勝手だとは思っていたから。

あいつらはただあいつららしく振る舞っているだけ。あいつらが私に何か危害を加えるわけではなかった。私はただあいつらの振る舞いそのものが気に入らなかっただけ。そんなこと、誰にも話せなかった。
だって、私が気にしなければいいことのはずでしょう。

でも、でも、この感情はどうすればいいのって思うんだ。仕方ないじゃないか。そいつらの振る舞いがどうしようもなく私の呼吸を止めるものだったんだから。
こんな自分のこと、好きにはなれなかった。もっと上手に感情をコントロールして、気にしないでいればいいのにって思った。それができない自分が嫌いだった。
あいつらがいなければこんなことを思わないですむのにって、そうやってあいつらのせいにする自分も嫌いだった。
ずっとずっとグルグル色々なことを考えて、まだ幼い頭で考えられないくらいに感情が渦巻いて、そして全部消えてしまえよって思うまでいった。
笑える。なんの解決にもなっていない。あんなに考えたのに。

私が最近見るコンテンツはすごく根拠のある言葉が多い。まあ、それは当然で、色々な知識を持っている人が解決策を一生懸命に考えて発信していることだから。
だから、ふさわしい言葉ではないと思うけど、そういうものってすごく高尚なんだ。
子供っぽさがどこにもないんだ。
それはとても良いことなんだと思う。だから発信する価値があるのだと思う。
それと比べて、そこらへんの中学生が「そんなの嫌だ!」って叫んだところでしっかりとした論理を組み立てて話せない彼らの、彼女らの言葉を誰が聞き入れるんだろうか。
誰も、聞いてくれない。

そう、誰も聞いてくれないんだ。
あの時の私は何が辛かったのかなって思ったら、あいつらが嫌な振る舞いをするからとか、そういうことが根底にあるわけじゃないんだと思った。それもきっかけとしてそうだったかもしれないけれど、渦の中から抜け出せなくなった原因としては、誰も聞いてくれなかったから。それがすごく辛かった。
ただ聞いてくれることじゃなくて、理解して欲しかった。共感しなくていいから、私の言っていることを分かって欲しかった。
多分その時の私の言葉はすごく稚拙で、「なんか嫌だ。あいつらがムカつくんだよ」っていう説得力に欠けた言葉しか言えなかったのかもしれないけれど、私がそう言ったら私の友達には
「何が嫌なの?」って聞いて欲しかった。そうしたら私は
「こういうところが嫌なんだ」って言って、そしたらまた
「どういう風にして欲しいの?」って聞いて、それに私は
「誰かを殴ったりしないで欲しい。誰かを見下して自分が優位な立場にいることをアピールしたりしないで欲しい」とかそんなことを言って、そうしたら
「あの子たちは何を考えているんだろうね〜?」ってその子が言って、
「分かんないよ。他人を見下すやつは嫌いだ!」って私が言って、
「そんなこと言ってる君もあいつらを見下してない?」ってその子に言われて、
「そんなことない!」って図星を突かれた私が言って、
「そうなの? じゃあそれでいいけど、嫌いならどうしよっかー」ってその子が言って、
「分かり合えないよ」って私が言って、
「じゃあ、たまに愚痴大会しよう!」ってその子が言って、
「いいねいいね! じゃあたまに聞いてね!」って私が言う。

それからたまに開催される愚痴大会で愚痴を言って、幼い私の愚痴の内容のおかしいところを友人に指摘されながら、少しずつあいつらの気持ちを想像して嫌いだった気持ちを許せるようになったりならなかったりする。
許せるようになるかどうかっていう結果はどうでもいい。自分が抱えているものを誰かと少しずつ話して、話すうちに何かの理解が深まっていったりいかなかったりしたかった。
最初はただ「嫌だ。うざい。むかつく」って言うことしかできない。でもそういうなんの根拠も理解も無い言葉を発して主張をする。それだけではダメだろうか?

沢山お話をして欲しかった。稚拙な言葉を沢山使って、言葉を紡いでいけば友人の指摘と一緒に見えてくることもある気がする。見えてこなくてもいいけど。


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少ししだけ、あの時の私になってみる。

ねえ、誰か聞いて。嫌だよ。嫌だよ。嫌だよ。全部消えてしまえ。
うるさい。うるさい。あいつらなんか消えろ。
なんで授業なんかでここにいなきゃいけないんだ。なんで先生は普通に授業しているんだ。
因数分解しろって、分かってる、分かってるよこんなもの。できるよ。できたからなんなんだよ。こんなことができてもらえるマルなんていらないよ。
これで喜ぶと思ってるの?
ああ、あいつらがまた騒いでる。
気持ち悪い。ここに座っているこの状況が気持ち悪い。
今ベランダから飛び降りて遠くまで行きたい。飛んだら死ぬかな? パイプを伝っていけば死なないかな?
どこかへ行きたい。ここから消えたい。
耳と目を塞いでもダメだ。音が聞こえる。横に誰かがいるのが分かる。ああ、先生がまた話し始めた。黙れ。黙れ。
またあいつ。うるさいな。私の世界に入ってくるな。
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なんだか、戻ってこれなくなりそうだから終わります。
こんな声を誰が聞くんだろう? こんな自分勝手な言葉を。
聞いている側はきっと不快なだけだよね。
でも、聞いて欲しいよ。私が悩んでることに一緒に悩んで欲しいよ。
言葉にならないと、負の言葉が蝕んでいく。その言葉を投げるから「そうだね」ってコツンと打ったり、「気にすんなー!!!」って打ち飛ばしたり。「それはお前が悪い!!!」って思いっきり投げ返したり。して欲しかったな。

最後に、一応有益性のあることを(でもやっぱり自己満足を)
下手で幼稚な主張を、聞いてあげて欲しいです。都合よく子供扱いして、そして都合よく大人扱いしないで、聞いてあげて欲しいです。
間違ったことばっかり言うかもしれないけれど、間違ったことも全部聞いて、間違ってるよって言って、でも君はそう思っていたんだねって言ってあげて欲しいなって思うんです。
それから成長するのをそばで、じゃなくてもいいけど、助けてあげて欲しいなって思います。

私たちはすごく不器用だ。心なんていう扱うにはすごく大変なものを扱いきれずに、簡単に壊れてしまう。
強い人がいて、弱い人がいるけれど、弱い人が淘汰される世の中だとしたら、きっと弱い人の比率は少ない。
そして色々なものが溢れてシステム化している世の中は多数派に合わせられて、つまり強い人に合わせられて、作られやすい気がする。
そのシステムにもしかしたら弱い人は殺されていく。
システムは、少数を個別で対応できるようにできあがるものであれば嬉しいです。

そしてその少数とは、手間がかかるかもしれないけれど、一人一人の対話でなせるものがあると思うんです。

ああ、綺麗に終わらせるつもじゃなかったのに。
有益性を意識するとすぐにこんなことになってしまう。
そうではなく、私はただ稚拙な主張を吐き出したかっただけ。

私は今日も何かを気に食わなくて、大人になれていない自分に苛立ちながら生きています。
全部、消えてしまえ。

生きているだけでいいや。