チョコレートの雨が降り注ぐ2月。
バレンタインちゃんの足音も聴こえる。
寒いけれどココロは暖かく甘くて溶けそう。
ちょこっと最近のことを書き留めたい。
コントロールできないおばけが住み着いている。
おばけの存在は憂鬱で仕方がない。
ココロが叫びたがってるんだ〜。
ザワザワ…どんより…
それでも、お空はふわふわ柔らかく綺麗だし、
なんだかんだでお花をみると可愛いし、
弾む音にはおどらさせられるし、
ほかほかのごはんとお漬物は美味しいし、
ツインのしあわせをしあわせに感じるし、
ソーシャルディスタンスは切ない。
ちなみに行動力がありすぎて、今日からはじまるサーティワンのバーガンディチェリー(いちばんだいすきなフレーバー)をパイントで買って帰宅。
今、抱えて食べながらこれを書いている。
店員さんにスプーンはおいくつ?ときかれたので、
4つくださいとしれっとゆいました。
ほとんどひとりで食べる。ごめんなさい。
おばけがこんにちはしても、
豊かさがあるのはどうしてなんだろうか?
しっかりと少しずつでも
ココロとカラダが機能している証拠なのかしら。
感情に素直に暴れて叫び倒して、声帯をこわす。
でも何かちがう表現をもっと覚えたいなあ。
受験シーズンですね。
わたしも2度目のチャレンジ
夏の試験の申し込みをしました。
ピアノはやっぱり苦手。楽しみたいな。
秋はまた別の試験の調査のために新たに勉強をしたい計画です。(あくまで計画)
センター試験(今は共通テストってゆうの?)
問題が変わっていて面白かったです。
豚さんがお気に入りの年でしたね。
前の日には「紅の豚」が金曜ロードショーでやっていました。伏線でしょうか?
高校時代の先生はHRで「心理学のような答えのないものを学んで将来を考えるな」と言いました。
高校生のわたしは◯か×かの正答をいつも求めていて、答えが1つの物理や数学みたいな理系の世界が綺麗だと信じていて。
偶然その先生と電話でお話する機会があってこの話を書いている。
今もその先生を尊敬しているけれど、先生に会ったらわたしは胸を張って言えると思う。
「答えのない学び」は最高に尊いものだということ。
そして、理系の世界にいる人も(というより、こそ)みえないものを信じ、答えのないものを求めているということ。
みんながあるはずのないと思うような何かに魅せられてちゃんと素晴らしい何かを見つけていること。
地球に溢れる学びがすべて輝きに満ちているということ。
こんなきらきらした気づきをもっている卒業してからのわたしを経験を通して伝えたいな。
京女でお誘いしてもらった授業も無事終わった。
とても楽しかった。考えることは美しい。
しょうみ、つまづいてつまづいて傷だらけだ。
今もなぜか癒えない傷がずっとずっとある。
本当になぜか。永遠にギモン。
でもとりあえず傷ついてよかったといえるくらいにわたしは自分の道をちゃんと自分で見つけている。
そんなわたしだからこそできたお話だったと思う。
それは結局答えのないモヤモヤしたものだ。けど。
1つだけnoteに残しておきたいやりとりがあるのでここにそのまま置いておきます。
たくさんのコメントがあり、
その振り返りを終えたあとにいただいた質問。
そっくりそのまま1つだけnoteに残しました。
偉そうに語っているまだまだ弱いayanaさんに本当に強くなってほしいから。
未だにわたしはわたしの敵で闘ってしまう時もある。
でも、わたしにはわたしが複数存在していることを認めて理解しはじめているよ。
メタメタしながら、共に生きている。
エネミーであり、親友でもあること。
でもそんなわたしもぜんぶわたしなのだと優しくありたい。
ふふん。
先生からのコメントや
わたしへのメールが嬉しかった。
取り急ぎ書いたわたしの言葉が、何か転機になったり、少し心が軽くなったりしたらいいなあ。
わたしの言葉じゃ物足りないかもしれないけど先生のコメントもついて、起爆剤になることを祈って。
そして私はこの授業を通してまた爆発できました。
人は人で輝きを増す。
良いことも悪いことも
日々私に降り注いでいる。
今わたしの目の前にあるものに感謝して
それを精一杯愛そう。
おばけとの共存は甘くないけれど、
わたしにはチョコレートより
甘くてやさしい信頼できる居場所がある。
もっともっと愛が溢れていくはずだ。
それでも、今度叫びたくなったら、
素敵なメロディーに伝えたいことをのせよう。
名案だ。