『趣味:自己表現』 街風/言葉の掃き溜め【番外編】
僕は、小さい頃からずっと空想の世界が好きでした。
一人っ子だった事もあり、1人でレゴブロックで遊ぶ時は、いつも飛行機や船を作ってはそこに小さな透明人間を乗せて遊んだり、街中を歩いたり電車に乗っている時には、いつも小さな透明な電車を並走させていました。
友達とも遊ぶのは大好きで毎日のように外で遊ぶような子供でしたが、1人でいる時の時間も同じくらいに大好きでした。
小学校に上がると図画工作の時間はとても楽しくて、自分の作品が何かの賞に選ばれるたびに嬉しくてたまらなかった事を今でも思い出します。
小学校高学年になり、スペースシャワーTVでたまたま流れていたZEEBRAの「Street Dreams」のPVと出会い、そこからヒップホップが大好きになりました。当時は英語のスペルが全く分からず、母親を急いで呼んで何て読むのかを教わって後日CDショップでシングルCDを買ったのを思い出します。そして、どんどんヒップホップやラップの面白さにハマっていった僕は、自分でもリリックを書いてみることにしました。
ヒップホップのリリックはとても奥が深く、最初はK DUB SHINEのリリックを模倣して「母音を揃える」ところから真似をしてみました。体言止めや言葉を言い換えてみたり、シンプルで王道な方法でCampusノートに書きまくっていました。1行に2小節、8小節書いたら1行空ける、そんな感じで1年で最初のノート1冊は埋め尽くされました。
中学生になり、我が家にもPCがやって来ました。PCはとても画期的で、手書きのノートと違って、間違ったらすぐにバックスペースキーを使って削除できましたし、書く時間よりもタイピング時間の方が断然早かったです。そうして、僕はどんどん没頭していくことになります。
そして、誰でも気軽に投稿できるインターネットは、当時のアンダーグラウンド感がすごかったHIPHOPにも影響がありました。ヒップホップは土着文化であり、地元に根付いたラッパーたちが全国区へと羽ばたくのがセオリーだったあの頃、ブラックミュージックを投稿できるサイトがありました。すでに閉鎖されており、当時の記憶も曖昧ですが、そこでは自作の曲をアップしたり、ネット上でリリックリレーをしたり、全国のヒップホップヘッズ(=ファン)と繋がっている気がしました。
そこで、僕も自作のリリックを上げて感想をもらったり、リリックリレーに参加して楽しんでいました。たまに一曲完成させたりすると、達成感に包まれたものでした。
ちょうどその頃、思春期に突入していたこともあって少し不良っぽいこともしていました。それを赤裸々に綴った懺悔代わりの作文は、先生からも高く評価していただき、当時の全国作文コンクールにも学校を代表した複数作品の内の1本に選んでいただきました。しかし、あまりにも内容が内容だったので、作中に出てくる実在する登場人物の友達の名前は伏字にされることになりました。結局、入賞等はできませんでしたが良い思い出です。きっと、その原体験が、街風episode.9に登場させた不良五人衆やトモヤに反映されているのだと思います。この作文以外でも色々と短編小説を趣味で書いていました。それは、映画「耳をすませば」が大好きで、雫のように自分も何か書いてみたい!という単純な動機から来るものでした。
高校生になり、部活動等で忙しい日々を送り始めるとリリック作りから少しずつ離れていきました。でも、心の中では将来はラッパーになってやると思っていた自分もいました。しかし、その頃に初めて出会ったLIBROというラッパーの「対話」という曲を聴いて、とてつもなく大きな衝撃を受けました。
僕がラッパーを目指していた理由の一つが、「金や女、暴力ではなく、日本語を使って日常の何気ない1シーンをカットして、ヒップホップに落とし込む。」というものでした。そして、それをLIBROはすでに90年代に完成させていたのです、僕のクオリティを遥かに凌駕するレベルで。
何度も繰り返して聴いた後、僕はラッパーの夢を諦めることにしました。その事は今でも後悔していませんし、未だに言葉の掃き溜め(自分の書いたリリック)と比べても天と地の差です。
美術の方は、1年間しかなかった美術の授業で提出した作品は何度もお褒めの言葉をいただき、自分は芸術系の分野が好きなんだなと思えるキッカケになりました。
それから今に至るまで、写真、短歌、作曲、ブログ、様々なものと出会い、広く浅く手を出しています。
これらに共通しているのは、自己表現です。
きっと、僕は、「自分の想像する世界を、形にすること」が好きになっているんだと思います。
小さい頃は、絵を描いたりレゴブロックをくっつけることだけが、僕の自己表現の方法でした。
しかし、今では成長と共に様々なものと出会い、多くのものと触れたことで、色々な方法で僕の心の中のものが形作られて発信することができます。
ラッパーになれなかったけれど、小説家になれなかったけれど、芸術家になれなかったけれど、僕は自分の才能の無さに落ち込んではいません。それは、僕が生涯をかけて続けたいことは「自分の中身を表現すること」ですから。だから、僕はこのまま色々な媒体を通して自分を表現し続けるんだと思います。
そして、身近に沢山の死があったことも大きいと思います。人は死んだら何も残らない。生前、何を考えてどう思って生きていたのかなんて死んでしまったら何も分かりません。だからこそ、僕は色々なカタチにして残したいという欲もあるのでしょう。
言葉の掃き溜め
リリックです。いいなあと思った曲のトラックを脳内でリピート再生しながら、平均20〜30分で1本書いています。自分が本当に思ったことだけでなく、架空の人物を自分の中で設定して書き上げることもあります。それは、ストーリーテリングといって、本場アメリカのラッパーのアルバムにも1〜2曲はそのような手法で作られた曲が入っています。
街風
創作小説です。原案自体は、中学生の頃にすでに完成されています。今時の風潮とは違って、別の話への繋ぎとなる部分や登場人物の心情、どういう舞台なのかは説明が少なめです。それは、読んでくれる人に自分好みで補完しながら楽しんでもらいたいからです。
これ以外にもエッセイをぱらぱらと更新しております。宜しければ僕の趣味に今後もお付き合いお願いします。